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心の外の中
小さいおばあさんだった。しかし、それに反比例して、僕らの中で、ものすごく大きな存在感を放っていたおばあさんだった。
全てを受け入れるかのごとき眼差し。話しかけると小さく微笑んで頷いてくれるその姿に、数多くの人が癒されてきた。辛いこと、悲しいことがあるとおばあさんの横に座ってみる。何を言うでもなく、いつものように笑顔をみせてくれるその不変的な存在に、神々しさすら感じていた。
おばあさんは日常生活のほぼ全てにおいて介助を要していたが、みんなおばあさんに助けられていたように思う。それはきっと、元看護婦ということもあいまって、誰かのためにというおばあさんの気位の高さがうかがえるものだった。
おばあさんには口癖があった。
「あ~~あ~~あ~~」
口癖というよりは、自分はここに在る、まだ声を放てる主体ある存在だと主張しているかのようだった。僕らはおばあさんの存在をこれでもかと実感していたが、おばあさん自身は、どこか不安に思っていたのかもしれない。
「あ~~あ~と、大きな声で、言いました…」
小さな口から小さい声で、そう呟かれる。その声を聞き、僕らも安心する。おばあさんはここに居る。おばあさん自身もそう実感できていたことだろう。
そんな口癖もやがてどんどん小さくなっていき、そしてついに、その呟きは、もはや僕らのいる空間を揺さぶることがなくなった。小さな口からは、もう小さい声すら発することができなくなってしまった。
「人に優しくすると、優しくしてもらえるんだよ…」
元気だった頃、横に座っていた僕に、突然に語りかけてきたおばあさん。その凛とした佇まいは、ナイチンゲールを思わせるものだった。
優しさってなんだろうか。
おばあさんのように、その存在だけでみんなを癒し、安心させられるような優しい人になれるだろうか。頑張って優しくしてみても、その人に渡る時には、それは偽りのものになっているように思う。人によく思われたいがために、自分を押し付けただけだ。
でも、おばあさんからは確かに優しさをいただいた。おばあさんは自分を押し付けてはいなかっただろう。じゃあ優しさってどこにあるのだろうか。
それはきっと、関わる人と人の、心の外にある。その心の外の中に、優しさってのは浮かびあがってくるのだろう。だから、一人では優しさを感じることはできないんだな。
僕はおばあさんのようには上手くできないだろう。だからこそ、実直に、少しずつでも携わる人の生活を整えることをコツコツ行っていこう。それがいずれ誰かとの間に、おばあさんのような、暖かい優しさとなって浮かびあがってくると信じて。
大きな声はもう聞こえないけど、あの小さな呟きは、今もまだ胸に響いている。