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ぼちぼち開業10年になるので、40歳手前で自分の人生を振り返ってみた①


はじめに

弁護士10数年目、開業して9年とか10年にもなると、「なんで弁護士になったの?」という質問を死ぬほど受けてきているわけですが、その都度、「いや消去法で・・」「自分社会不適合者なのでww」とかモニョモニョ答えてきました。

が・・・いいかげん自分のことを振り返って、言語化してみようと思って、この記事を書いています。


もし、弊所に応募してみようと思って、この記事にたどり着いた方は、

「この事務所のボスはこういう人間なんだな」

ということは、よくわかるかと思いますので、よろしければご笑覧ください。

学生時代

親に言わせると、幼稚園とか小学校の頃は、物覚えが早く、勉強はできるほうではあったらしい。
小学校中学年くらいまではサッカーをそれなりに一生懸命やっていた記憶があるが、それくらい。ゲーム、漫画、サッカーにハマる、どこでもいる小学生だったんじゃなかろうかと。

性格は、知らない人とかお友だちのお母さんとかに挨拶もできない内弁慶タイプ、今で言う「コミュ障」だったと思う(今でも交流会とか知らない人が多い場所はめちゃ苦手ですが)。

人と喋るのが苦手だった人間が弁護士という言葉を使う仕事をしているのは不思議なものです。

さて、小学校高学年のころは、実はあんまり記憶にない。

というのも、いじめられていたから。

小学生のいじめに深い理由はない。仲が良かった友達グループの中で、比較的おとなしい、気が弱そうな人間が、順番に標的になっていくなかで、自分に順番が回ってきた。そんな感じ。正直言えば、その前は、自分もいじめている側にいたこともあったから(端から見ているタイプではあったが)、今思えば、因果応報だったと思うし、結果としていじめる側に加担したことは今でも後悔している。

別に今更いじめていた子たちにどうこう思うこともないけれど、あの人達はいじめていた過去を思い出すことはあるのだろうか。どうでもいいけど。

中学校では、サッカー部に入った。

もっと本気でやればよかった。と後悔していることの一つ。思春期特有の「泥臭く頑張るのはカッコ悪い」と言う思考回路で、一生懸命走らなかったり、体を張るプレーを避けたり。練習もサボったり。

クラスでもいわゆる「一軍」グループにいるわけでもなく、友達がいないわけでもなく、淡々と学校生活を送り、なんとなく塾に入り、なんとなく行けそうな高校の中で、偏差値が一番高いところにギリギリ受かって、特段進学校でもない公立高校に入ることになる。

高校でも同じような感じで、テニス部に入り、それなりに部活はやるも、目的意識があるわけでもなし、高2まではダラダラと過ごすことになる。

・・・・転機になったのは、大学受験だと思う。

高2の終わりに、漏れなく大学受験を意識するようになり、同じ部活の同級生が行くからという浅い理由で予備校に入り、高3の夏前くらい?に部活を引退し、受験勉強をスタート。

良くわからないけど、ここで勉強のスイッチが入る。

いかんせんそれまでろくに勉強していないので、乾いたスポンジの如く、知識が吸収されていく感覚が心地よく、夏休みは1日10時間くらいは勉強していたと思う。

その甲斐あって、夏休み明けの予備校のクラス分けでは、私立・公立トップクラスの進学校に通う猛者がいるクラスに入ることになる。

「目標を設定して、達成していく快感」
「意識が高い環境に置かれることでより成長できる実感」

のようなものを初めて感じたのはこの頃。

そのまま勢い余って、無事志望校に現役で合格。大学は上智大学の法学部に入ることになった。当時うちの高校では現役で早慶上智以上の大学に入るのは学年で1人か2人くらいだったので、珍しかったようだ。

なお、法学部を選んだものの、当時弁護士になるつもりは微塵もなかった。文学部は就職できなさそう、経済は、チャラそうだし数学できないし合わなそう、というありがちな浅はかな理由で、選んだのが法学部。
(無駄に)偏差値が高いというところに、自尊心がくすぐられたというものあったかも。

大学に入ったあとも、コミュ障、陰キャという本来の気質にくわえ、斜に構えがちなスタンスを発揮して、サークルに入りそびれたこともあり、司法試験予備校に通うこととなった。

就職活動する自分の姿が想像できなかったから、とりあえず資格を取れる勉強をしておいたほうが良いだろう、という程度の気持ちが大半であったものの、ドロップアウトせずに勉強を続け、司法制度改革の真っ只中という流れを受けて、ロースクール受験をすることとなりました。

なお、大学時代は、個人指導の塾講師のアルバイトはしていたものの、ちょこちょこ程度で、ここで語るような経験は特にありません。

ロースクールは一橋の既習コースに入学した。一橋を選んだのは、
・学費が安い
・司法試験の合格率が一番高い
・規模感がちょうどよい
・東大とか慶応みたいにちょっと鼻にかけた感じがないので(偏見)、自分でも馴染めそう

とかそんな感じ。

・・・改めて書いてみると、自分の学生生活がいかに空疎で実りの乏しいものであったことを痛感してしまいますね。辛い。

自分の子どもは学生生活をエンジョイしてほしいと切に願います笑

弁護士になるまで

さて、ロースクール入学後は、当然法曹を目指して勉強することとなる。

今思えばありえない話であるが、当時は検察官志望であった。なんとなくかっこいいというそれだけの理由である。

一橋は流石に周りがめちゃくちゃ優秀で、別にロースクール来なくても、「今司法試験受ければ普通に受かるじゃん・・」みたいな人がゴロゴロしていた。司法制度改革がなければ、在学中合格していただろうな、という人が一定程度いたと思う。

そんな環境であるから、自分が良い成績をとることを早々に諦め、中位をウロウロする感じを必死にキープすることになる。如何せんロースクールというのは、勉強ができない人は、自主ゼミも声がかからないなど、とにかく肩身が狭くなるからである。

ロースクールは色々批判されているが、自分は入ってよかったと思う。論証パターン丸暗記で万が一司法試験に受かっていたら実務家としてとんでもないことになっていただろうし。

司法試験1回目は、自主ゼミをやりすぎて、インプットを怠ったこと、模試で二桁順位を取って調子に乗ったことや直前に体調を崩したこと、そのことでメンタル的にけっこう追い込まれて不眠症気味になり、勉強の質が下がったことなど諸事情あり、さっぱり書けず、見事に不合格となる。

このとき、睡眠、健康大事。勉強は質である、と痛感しました。

ということで、2回目の受験までは、大人しく実家に帰り、某司法試験予備校でバイトしながら勉強を続けることとなります。

同じく1回目不合格となったロースクールの同級生と定期的に自主ゼミを実施できたのは、精神衛生的にも、めちゃくちゃありがたかったです。

粛々と勉強を続け、さしていい順位ではないものの、無事2回目で合格し、1年の司法修習後、品川の事務所で勤務弁護士として弁護士生活を開始することとなりました。

なお、ロースクール入学時の検察志望は、検察修習1週間でシフトチェンジすることなった。組織になじめる気がしなくて司法試験を受けているので、良くも悪くも組織的・体育会系の風土を感じればそれはそうだろうと。今ではむしろ検察志望だったのが不思議なほどでした・・。

弁護士になってから独立するまで

最初に入った事務所は、いわゆる過払系を多く扱っている弁護士2人の事務所。当時は、弁護士が各地に出張で相談に行って、受任してくるスタイルがはやっており、もれなくそのような仕事の仕方をするようになった。土日は出張で地方に行って、相談対応をして、平日休む、という変則スタイル。

人間、慣れてくるとマンネリ化してしまうもので、ひたすら過払金請求や、自己破産の申し立てをしていると、(言い方は悪いが)飽きがくる。性質上定型的な要素が強いというのもあるし、1年目の弁護士特有の幅広く経験してみたいという欲求と現実とのギャップも感じ、1年で移籍することとなる。

当時の兄弁、ボス弁、事務局の方は、本当に良い方ばかりだったので、不義理をしてしまったなと今でも少し申し訳なく思っています。

移籍先は、受験予備校時代にお世話になった方が代表を務める神奈川県内の事務所。

所謂一般民事事件を扱う事務所。それなりに裁量も与えてくれたし、個人事件も一定程度許容していただいたので、大変有難かたかった。

が、個人事件が増えてきて(当時はインターネット集客している弁護士は、特に神奈川ではそれほどいなかったので、弁護士ドットコムをしっかり活用すればそこそこ事件獲得ができた)、お互いに気を遣うような雰囲気になり、ここも1年弱で退所することとなり、勢いで独立することとなります。

退所の意向を告げたのが年明けで、独立開業が3月なので、ほぼ2か月くらい。しかも当時は妻が妊娠中。今思えば結構思い切った気もするが、「どうにかなるだろう」という根拠のない自信があった気がしています。

独立当初

一番最初に借りたのは、横浜市桜木町のレンタルオフィス。

桜木町にしたのは深い理由はありません。

・初期費用、固定費を極力抑えるため、レンタルオフィスでの開業一択

・レンタルオフィスはそこそこの主要駅しかない

・働くなら裁判所の近くでかつ気分良く働けるところが良い

ということで、桜木町になっただけ。

固定費を抑えたとはいえ、顧問先はゼロで、紹介筋もないまま、独立しているわけだから、集客の悩みはついて回ることとなります。

生まれたばかりの子どもが居て、夜の交流会に継続して参加することは現実的ではないし、柄でもないし。

なので、紹介チャネルははじめから狙わないこととし、ネット集客に絞ることとしました。

そうすると、次は、「ネット集客に馴染む分野はどこか」ということを考えます。

とりあえず、「一般の方が知人や家族にはちょっと言いにくく、とりあえずネットで一見の弁護士を探そうとしそうな分野」かな、離婚、交通事故、刑事事件、インターネットトラブルといったところが候補になりそうだな、と自分なりの仮説を立ててみる。

離婚、交通事故、刑事事件の3本柱で集客してみよう、と結論付けました。

具体的なチャネルは、とりあえず、ポータルサイトでやってみて、脈がありそうなら特化サイトを作ってコンテンツ作成しつつリスティング広告を出す・・という流れでやってみよう。

こういう人は問い合わせしそうだな、とか競合はこのへんかな、単価がこれくらいだから、コストはこのくらいかな、というざっくりした仮説検証はしつつ、まずやってみてだめなら他をやればいいかくらいの気持ち。

全然イケてないポータルサイトやさっぱり仕事をしてくれないHP制作会社にひっかかったり、どこかの雑誌や交通機関の広告とか効果がほとんどないものを試してみたり、余計なお金はつかったけど、

今振り返って思えば、

・仮説検証はほどほどに
・PDCAを高速でまわしていくのが結局大事
・人からあれこれ聞くより自分でお金払ってまずはやってみることが一番大事

ということが、感覚的に掴めたので、あれこれ試したのは決して無駄ではないと今では思っている。

あと、やってみて思ったのが、「離婚は結構肌に合うかも」ということ。

自分で言うのもアレですが、結構人当たりは柔らかいほうで、喋りものんびりしていて、極力難しい言葉は使わないで、フラットに接することが自然にできる、いい意味で弁護士っぽくなさを、評価されることがあったりしました。離婚に悩む相談者さんにはそういうところがウケている印象。

自分の気質とか強みにフィットする分野を選ぶのも結構大事なのではと思います。

そんなこんなで、開業して数ヶ月で事務員さんを雇用し、新人弁護士を採用するなど比較的順調に事務所経営をしていくことができた1年、2年目でありました。

2年目以降は、交通事故や刑事事件をやめたり、弁護士や事務局さんが退職したり入ったり、オフィスの移転をすることになったり、独立した弁護士が一通り通りそうな悩みごとを経験していくことになります(反省すべき点も山ほど)。これはまた別の記事でまとめます。

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