ミッション終了
今日は姑と舅が入居する施設を、二度訪問せねばならない。姑の退所と、舅の通院付き添いである。
どちらも時間がきっちりと決められているのだが、上手い具合に噛み合わせることが出来なかった。致し方ない。
先ずは姑退所関連ミッションから。
姑をショートステイから連れ帰り、ヘルパーさんが来るまでに必要な買い物を済ませようと思っていたら、姑が久しぶりに買い物に行きたい、と言う。姑が自分から外に出ようとするなんて、最近では本当に珍しいことだから、喜んで付き添った。結構しっかりとした足元だが、段差はちょっと怖いから、十分に気を配らないといけない。
帰宅してから昼食を食べさせ、自分はガサガサと早めの昼食を取り、姑に手を振って、バス乗り場に直行した。
お次は舅の診察付き添いミッション。
病院は老健の棟続きだから、通院はなんてことはない。
姑宅近くのバス停から、老健までは約四十分かかる。
最近のバスの異常な混雑を見越して早目に姑宅を出たのだが、少し早く着きすぎてしまった。舅の診察時間まで三十分以上ある。
折角の何もない時間、ゆっくりと周りの自然を眺めながら休憩させてもらうことにした。ついでにこれを書いている。
ここは山が近い。市内中心部より少し気温は低めで、ほんの僅かだが色づき始めている葉もある。気持ち良いなあ、とのんびり辺りを眺めていたら、『クマ出没注意』の看板が目に入ってゾッとする。
施設は丁度、新しく入所する人を受け入れる時間帯である。
大きな荷物を抱えた娘さん(といっても私よりも随分年上に見える)と、九十度くらい腰の曲がった老婦人が、タクシーでやってきた。
老婦人はかなり高齢のようだが、足取りは下手すると娘さんよりしっかりしているように見える。スタスタと慣れた感じの早足で中に入ると、さっさと事務所の横にある来客用のソファに腰を下ろして、娘さんが手続きするのをぼんやりと待っている。
この二人、どっちがどっちなんだろう?と密かに首を捻るが、多分荷物を抱えている方が入所『させる』方なんだろう。
『老老』なんとやら、とはこのことか。
玄関ホールでのんびりと腰かけている私の目の前を、実に様々な方がひっきりなしに行き来する。
介護スタッフさん、掃除のスタッフさん。入所している方。設備点検の業者さん。事務所のスタッフさん。
入所者それぞれが歩く訓練をされているのも、ガラス越しに見ることが出来る。
歩行器を使う方、杖だけの方、何も使わない方。ゆっくり歩く方、小走りに近い方、歩くというより摺り足の方。姑もきっと、こんな風に歩いていたに違いない、と思うと他人には思えない。
応援するような気持ちで見つめる。
こういう施設に対しては、私のような俗物は、虚しいような悲しいような、うら淋しい思いをどうしても抱いてしまうのであるが、入居者の表情を見る限り、誰一人としてそんな悲壮感は漂わせていない。自分の思いが失礼過ぎたかしら、とちょっと気まずくなるくらいである。
リハビリ担当の職員と並んで歩く方々には、爽やかな笑顔が多いように感じる。自らの人生のミッションを自分なりにひとまず終えて、漸く肩の荷をおろしたような、穏やかな安堵を感じている表情のように見える。穿ち過ぎだろうか。
家に帰ることを主目的にした施設だからかもしれない。
とにもかくにも、ここでは気の遠くなりそうなくらいゆっくりとした時間が、静かに過ぎていっているのは明らかである。
舅は前回の診察時、尿に潜血があり、細かい検査が必要になった。尤もほんの僅かな量で、恐らくたいしたことはない、と言われていたのであるが、念の為受けた膀胱癌の検査は全く異常無しだったということで、胸を撫で下ろした。
「ワシはここでぬくぬくしてられるけど、お母ちゃんは大丈夫かいな?」
診察を待つ間、優しい舅は姑のことをしきりに気にしている。
「元気ですよ。今日はね、一緒にお買い物も行きました」
耳元でそう言うと、舅は大きく目を見開いて
「ヒエッ、そらまたエライ元気なこっちゃ。ありがたい、ありがたい」
と骨張った両手を合わせて、私を拝むようにした。
姑に見せてやりたい姿である。
以上で今回の私の関西ミッションは無事終了した。
週末には本番が一つ、控えている。前日はその練習だ。
新幹線の車窓からの景色も随分見慣れたものになってしまった。
さあ、今晩のおかずはなんにしようか。
ぐったりと眠る周囲の乗客を見ながら、読みかけた本の頁を開いた。