ほっといたりいや
他人のことなのに、どうにも気になっていけない。
最近、私が練習しているカラオケボックスに、一人の男性がサックスを練習しにやってくる。支払い時に顔を合わせることもある。六十代後半、といったところか。いつもとても嬉しそうに、ニコニコしている。よっぽどサックスを吹くのが好きなんだろう。それは良い。
だが私はこの人にちょっと困っている。
別に迷惑な事をするわけでもない。いや、私にとっては迷惑なのだが、本人に全く悪気はない、と言った方が良いのか。
この人、音がバカでかいのだ。おかげで遠く離れた別室に居る私のチューナー(音程を計測する機械)がこの人の音を拾ってしまい、正確な音程がはかれないくらいなのである。大変迷惑している。
カラオケボックスと言っても完全防音ではない。ドアには隙間がある。多分消防法上の規制があってこうしているのだと思うから、カラオケ側に罪はない。
自分と同じように『ここなら思い切り大きな音を出せる』と思って吹きに来ている人の気持ちは痛いほどわかる。しかし、いくらなんでもちょっと大きすぎる。悩ましいくらいである。とても申し訳ないけれど、そう思ってしまう。
この人の音が聴こえてくる(どこの階に居ても受付まで聴こえてくる)と、『何卒自分と違う階でありますように』とお祈りしてしまう。この人が受付している直後が自分だと、ロシアンルーレットのような気分である。
大きな音を鳴らすことが出来るのは、ある意味『素晴らしい』ことである。だが『大きければどんな音でもよい』訳ではない。
失礼を承知で言えば、この人は多分、かなりの初心者である。先ず、音程が酷いなんてなまやさしいレベルではないくらい、酷い。音の出だしが爆発音になっている。スイングのつもりだろうが、完全に『びっこ』を引いている・・・つまり大変聴きづらい。黙って聴くしかないので耐えているが、耳にどうしても入ってくる。非常に辛い。
チューナー、見てる?最初の発音は舌をリードから離す瞬間に出るのよ。先に息を、それも闇雲に入れちゃダメなの。息はまとめて、真直ぐね。腹筋ちゃんと使ってないと、安定した流れで息が入らないから音程揺れるでしょ?スイングは先に一旦普通の吹き方で吹いて、一音ずつしっかり音を鳴らせるようになってから、ちゃんとメトロノーム使って丁寧にやるんやで!!
・・・と忠告して差し上げたいが、黙っている。
恐らく通販か何かで楽器を買って、自己流でYouTubeなどを参考に練習なさっているのだと思う。先生に習っていれば、まずやらされるロングトーン(強弱をつけても音程が揺れないように、真直ぐに息を入れる練習)やタンギング、スケール(運指練習)をする様子が全くないのだ。
楽団などに入っていれば、曲の練習などもするのだろうが、それも一向になさらない。ただただスイングジャズ?と思しきフレーズを爆音で吹いている。ちょっとため息が出そうになってしまう。
いや、良いんですよ、良いんです。自分の楽器で、好きなように吹いていらっしゃるんですから。でもついつい
「そうじゃねえ!!」
とツッコミたくなってしまう。
他人の領分に入ってしまうのはいかん。
しかし、邪魔、なんである。スイマセン、と心の中で謝る日々である。
先日も私のなんと二つ隣の部屋にいらっしゃった。うう、チューナーが役に立たない!と思ったがしょうがないのでいつも通りに練習していた。
ロングトーン、全調スケール。とやったところで、はっと気づくと爆音が静かになっている。帰ったのかな、ああ、良かった、と思っていると、暫くして自信なさげな音で、たどたどしいC‐dur(ト長調・♯や♭がなく一番簡単)のスケールをさらうのが聴こえてきた。
あれ?やってるやん。でも、テンポがまちまちだ。メトロノームはやっぱり使ってない様子である。しかも、途中で運指が分からなくなったのか、ストップしてしまった。教則本を見ているのではなさそうだ。
多分私の練習しているのを聴いて、『自分もこれやった方が良いのかな』と思い、『聴きよう聴き真似』でやってみたようであった。
悪いけど、ちょっと笑えた。
オジサマ、ちゃんとスケールの教則本使って下さい。メトロノームもチューナーも、基礎練習の必須アイテムですから絶対に揃えることをお勧めしますよ。
楽しいフレーズを楽しく吹こうと思ったら、ちょっとは基礎練習もした方が良いですよ。出来ることが増えて、きっともっと楽しくなりますから。
・・・ってこのオバハン、他人の事どうでもええやん!ほっといたりいや!と自分にツッコミを入れる。
オジサマのカラオケ通いは、いつまで続くことだろう。楽しみなような、恐ろしいような気分である。