暗いと不平を言うよりも
すぐ近所にあるアパートが建て直すことになり、近々取り壊しが始まることになっている。先日設計事務所の方が来られて、説明をして下さった。
立ち退きの期限は十一月初旬だそうだ。現在はニ、三軒の灯りが点いているくらいで殆どのお宅が引っ越しを済ませてしまったらしく、夜は真っ暗でちょっと薄気味悪い。
このアパート、古くて家賃が安かったせいか、一、ニ軒だがどうもあまりマナーのよろしくない人が住んでいた。タバコの吸い殻は道端にポイっと捨てるし、ゴミ出しの日も守らない。勿論分別もいい加減。カラスが荒らすので散らかってしまい、ゴミ置き場の向かい側に住んでいる我々にとっては、ちょっとした悩みの種だった。
いよいよ立ち退きの日が迫った十月末、かなり最後の方まで粘っていた?この数軒が引っ越ししたようだった。というのも、ゴミ置き場がエグイくらい酷いことになっていたから分かったのである。
どうも外国の方だったようで、英語ではない言語を書いたメモのようなものが、あちこちに散らばっているし、やっぱり分別はしていないし、回収日ではないものが堂々と出されている。『立つ鳥後を濁さず』っていう諺はこの国にはないのかしら、と思いつつ、ため息をつくことになった。
見られてはヤバイものがあったのか、細かいシュレッダーくずも沢山出されている。これだけなら良いのだが、そこに何か色々混じっている。
このアパートには、一人の老婦人も住んでいた。どうも一人暮らしらしい。この方がいつもゴミ収集の後、丁寧に掃除をして下さっていた。お礼を言うと、『このアパートの住人は自治会費を払っていない。これくらいはさせてもらわないと気が済まない』という話をして下さった。
このへんは収集後の掃除当番がない。忙しい共働き世帯や外国籍の方も多いから、ということなのかな、と勝手に思っているのだが、困るのはこういう散らかった後の始末をするのが『気付いた人』のみになってしまっていることである。
朝早くから夜遅くまで家にいない人は当然気付かない。ゴミ置き場の手前で家に戻れる人は、ゴミ出しに来るまで集積所を見ない。
ゴミ置き場と日々顔を突き合わさざるを得ない我が家は嫌でも気づく。
収集日になり、ゴミが回収された後は酷かった。
割りばしとシュレッダーくずが散乱している。他には見たことのない外国の字が書かれた書類を丸めたもの、タバコの吸い殻、割れたガラス。みんなぐちゃぐちゃだった。
件の老婦人が引っ越したかどうかはわからなかった。どうかな、と思って数日様子を見ることにした。
しかし、一向に掃除される気配はない。そばを通る度、嫌な気分になりため息が出た。
休日だった昨日買い物から帰ると、やっぱりそのままのゴミ置き場が目に入った。
もう限界。やってしまおう。幸いゴミ回収のない日だ。誰も出しに来ない。
備え付けの箒とちりとりはあったので、それを使う。シュレッダーくずはアスファルトの凹みに入り込んで取り辛いが、箒を使って上手く取ることが出来た。細かいガラスのかけらは危ないので、ひとまとめにして紙にくるむ。この小ささなら可燃ごみで持って行ってくれるだろう。
せっせとニ十分近く掃除したら、ゴミ置き場は見違えるように美しくなった。
片付いた地面を見た瞬間、私の心がウキウキした。いままでずっと汚いな、とぐずぐずしんどく思っていたのが、すっと軽くなった。
皿洗いをしながら、夫に事の顛末を報告する。ふんふん、と聞いていた夫は
「ゴミ散らかってると治安上も良くないしな。片付けた方がええ。お婆さんはもう引っ越さはったんやな。気付いたもんがやったらええやんか」
と軽く言った。
「そうやねん、自分の気分が軽くなったわ。やって良かった」
としみじみ言ったら、
「『暗いと不平を言うよりも、あなたが進んで灯りを点けなさい』って言う言葉あるやんけ」
と夫は笑った。
「ホンマや、その通りや。その方が手っ取り早くスッキリするわ」
と言うと、夫はニコニコして頷いていた。
奉仕精神なんてないけど、やって良かった。
心底ホッとしている。