生涯忘れない日
その日は土曜日だった。
朝起きて、普通にトイレに入って用を足して立ち上がった私は、何気なく便器に目をやって驚いた。
鮮血が走っている。それもあまり少なくない量だ。
痛いわけでも、お腹が張っている感じもない。でも、私は直感した。
きっと、今日だ。
病院に電話するために受話器を取り上げながら、私は興奮気味だった。
お腹は静かにその時を待っているのか、いつもより動かない。
「産徴があったんやね。診てみよか」
先生に言われて、診察台に上がる。
「うーん、まだ子宮口はそんなに開いてないなあ・・・明日の朝七時過ぎ、ってとこかな。楽しみに待ちながら、入院の準備を整えておいて下さいね」
そう言われて、帰って実家の母に電話する。
「そうか、いよいよやね。そっちへ行く準備しておくわ」
「うん、でもまだ分からんから、入院したら連絡するわ」
「そやね、初産やし時間かかるかもね。大事にね」
そんな会話を交わしたように思う。
フワフワと落ち着かない心を、冷静を装った言葉で覆い隠した。
夜八時過ぎになると、陣痛の間隔が短くなってきた。
少し辛い。夫は『記録を残す』という大義名分を勝手に作って、苦しむ私をのんびりとビデオに撮っている。腰の一つもさすらんかい。
蹴り飛ばしたいくらい腹が立つが、今はそれどころではないくらい辛い。
十時過ぎ、耐えきれなくなって病院に電話した。陣痛の間隔を告げると、
「じゃあ、入院しましょう。今すぐ来て下さい」
そう言われて、夫と一緒に向かう。診察してもらうと、
「お、急に開いてきたね。でもやっぱり明日の朝かな。ご主人は帰って下さい。お産が近づいたら連絡しますから」
と言われて、私は落ち着かない気分で夫に手を振って、ベッドに横たわった。
慣れない環境と、初めての命がけの経験をこれからするという興奮で、きっと眠れたものではない・・・と思っていたのだが、疲れが出たのか、いつの間にか陣痛の合間にウトウトと浅い眠りを貪っていた。
十一時半を回った頃だっただろうか。私はお腹の中の生命が、力強く外へ出ようとする気配を感じて目が覚めた。
今までの陣痛とは違う気がして、ナースコールをする。
看護師さんが飛んできてくれた。
「破水したんだね」
眠さと痛みで気付かないうちに、私の下半身はびしょ濡れになっていた。
「大丈夫だよ」
看護師さんが着替えさせてくれたが、意識が半分くらい飛んでいる。
「さ、もう分娩台に行こうか。頑張って歩こうね」
こんな短い距離を歩くのが辛かったのは、後にも先にもこの時くらいだ。
「頑張って!赤ちゃんも頑張ってますよ!」
もう頑張れない、そう思う度にこう声をかけられた。
時間が経過すれば、出産は終わるだろう。しかしこの時は時計の針ですら、自分の責任で進めていかねばならないような気がした。ただ苦しく、もどかしかった。
それでも
「赤ちゃん、ちょっと苦しそう。お母さん、頑張って!」
という声が聞こえてくれば、なんとかしなくちゃ、とカスカスになった残りの力を振り絞った。
酸素マスクを着けられていたことも、夫が所在なさげに横に立って、時折私の頭を撫でていたことも、殆ど記憶にない。
ただ天井のライトが時刻に不似合いな明るさで、私の真上で煌々と光っていたことだけをやたら鮮明に覚えている。
もうこれ以上は頑張れない、そう思った時
「ビエー」
という押し殺したような声がして、急にお腹がすっと楽になった。
先生と助産師さん、看護師さんから一斉に歓声が上がる。
「おめでとう!」
「よく頑張ったねえ!」
「いいお産だったよお!」
「元気な男の子ですよー!」
色んな声が次々に私にかけられた。でもなんだか『子供を産んだ』という実感が湧かない。これがお産なのか。
『人間』って『動物』やなあ、とボンヤリした頭でしみじみ思った。
小さくてグニャグニャした塊が、綺麗にくるまれて私の横にやって来た。
「いらっしゃい。待ってたよ」
そんな風に声をかけた。
初めての家族写真は、院長先生が『ワシ、やることないから』と冗談を言いながら撮って下さった。
あんなに苦しんだ後なのに、写真の中の私は清々しい顔で笑っている。
あの日から二十三年の歳月が流れた。
過ぎ去った日々には沢山忘れてしまったこともあるだろうけど、あの日のことだけは多分一生覚えているだろう。
これまで私達家族に関わって下さった全ての方々に、あらためて感謝の念を深くしている。
息子よ、誕生日おめでとう。