摺りガラスのイヤリング
私の勤め先のスーパーでは、9月の末からアクセサリーを販売するようになった。アクセサリーと言ってもスーパーのだから、お値段は知れている。
ピアス、イヤリング、イヤーカフ、バレッタ、ペアピン、シュシュ、カチューシャなどは一個300円。ネックレスは1000円という安さである。
儲けたいというより客寄せ効果を狙っての展開らしく、たいして利幅はないらしい。
仕入れ担当になった20代の社員のOさんは、
「300円なんて全然期待してなかったんですけど、来てみたら結構可愛くって、何個か買っちゃいました」
と笑っている。Oさんと同年代のSさんも同じようなことを言っていた。
時々商品整理と掃除のためにアクセサリーを手に取ることがあるが、確かに皆可愛い。最近は高校生らしき女の子達や、小学生を連れたお母さんなど、購入する客層は比較的若い。なかなか評判は良いようである。
商品整理をしている時、ふと昔祖母に買ってもらったイヤリングのことを思い出した。
祖母は外見こそ「走るより転がした方が速い」などと娘達に言われていたが、おしゃれに物凄く敏感な人だった。今私のいる職場に並んでいるバッグなどは、絶対に持とうとはしなかった。
学生時代たまにふらりと遊びに行くと、私の着ている服を見ては、
「あんた、良いの着とるな」
と上から下まで品評していうのが常だった。その頃私はアルバイト代が沢山入ったおかげで、好きなブランドの服をお金に糸目を付けず買っていた。だから上から下までブランド物で固めていたりしたのである。
特にそれを祖母に告げることはなかったのだが、一目見るなり生地の風合いや縫製の良さを見抜いてしまう目を持っていたようだった。
尤も、どんな良いものでもあまり似合わないのを着ていると、
「それ、もう一つやな」
と首を傾げることも忘れない、「くそばばあ」でもあった。
私はあまりアクセサリーを付ける方ではないが、昔はイヤリングが大好きで沢山持っていた。と言っても高級なものなどなく、パッと見ていいな、と思えば買う、と言った感じだった。
その日は祖母が買い物をするのに付き合って、百貨店に来ていた。祖母が何を買ったのかは忘れてしまったが、買い物を終えてさあ、帰ろうと1階のアクセサリーコーナーのそばを歩いていると急に祖母が足を止め、
「これ、良いな」
と一つのイヤリングを手に取った。
それは薄い摺りガラスでできた、割と大きめの白い花がぶら下がった涼しそうなデザインで、水着でも合いそうな感じだった。私はあまり大ぶりなデザインは好みではなかったので、そういうものを選んだことはなかった。好みでない、というより派手なものは似合わない、と思って自然と避ける傾向にあった。
へえ、おばあちゃん結構派手好みなんやなあ、と思って笑ってみていると、祖母は手を伸ばしてそのイヤリングを私の耳にあててみて、
「よう似合う。これ、しよし(※着けなさい、の京都弁)」
と言って、そばにいた店員に声をかけ、財布を取り出した。
え、私に?と驚いたが、祖母は買ったイヤリングを私に持たせると、さっさと出口に向かった。
「おばあちゃん、ありがとう」
帰りのバスで横に座った祖母に言うと、
「あんた、いつも小さいのばっかり着けとるやろう。若いんやから、ああいうのもしよし」
と祖母はまるで自分のを買ったように上機嫌だった。
イヤリングのことを指摘されたことはなかったけれど、祖母はちゃんと見ていたんだな、とちょっと驚いた。
自分はもう若くない。ちょっと派手なデザインのものを気に入っても、身に合わない。でも孫なら、おかしくない。いっちょ買ってやろう。
そんな軽い気持ちだったのだと思う。
「いつも大人しいものばかり着けているけど、たまにはちょっと冒険をしてもいいんと違う」と背中を押されたような気がした。
年寄りの買い物に付き合っても、おねだりをしない(できない)私へのサービスの意味もあったのだろう。
自分の気に入ったものを買ってもらったわけではないのに、私はちょっとウキウキしていた。
件のイヤリングは私が普段買うような安物ではなかった。それが証拠に金属部分が劣化することもなく、30年近く経った今も綺麗な状態で私のアクセサリーボックスに眠っている。
イヤリングもしなくなって久しい。私も段々あの時の祖母の年齢に近づいていって、もうあのデザインはちょっときついかも知れない。
今着けてみたら、祖母はなんというだろう。