マブダチ
Mちゃんは私の”マブダチ”である。
私より6つ年下だが、敬語も何もない。でもお互いに違和感はない。
彼女は私が以前所属していた楽団のトランペット吹きである。私が入団して3年くらい経った頃に県外から転居してきた。
吹奏楽というよりはオーケストラっぽい、柔らかい伸びのある良い音の持ち主。さすが競合バンドがしのぎを削る県からやってきただけあるなあ、と感心して聴いていた。
最初は全然親しくなかった。かなり個性的な服装をしていた為、私は彼女を秘かに「くノ一」と呼んで、”ちょっと変わった人”扱いしていた。
金管楽器と木管楽器のメンバーはバラバラに行動することも多いし、名前は知ってるけど、というくらいの存在だった。
きっかけは忘れてしまったが、ある時
「ねえ、あだ名で呼んだら怒る?」
と突然聞かれて目が点になった。
私は当時運営改革に必死になっていて、何人かのメンバーからはちょっと距離を置いて見られていた。呼ばれるのはもちろん苗字に『さん』付けである。あだ名で呼ばれるなんて、考えたこともなかったからちょっとこそばゆい感じがした。
「いやあ、かまわんけど?」
と言ったら間髪入れず、
「んじゃ、○○ね」
と言われてしまい、それ以降彼女だけが私をその呼び名で呼ぶことになった。今思えば周囲から浮いている私に対する、彼女なりの気遣いだったのだろう。
私もその時以降、彼女をMちゃんと呼ぶようになった。彼女をその呼び名で呼ぶのも私だけだった。
こうして不思議な関係が始まった。
彼女は18歳で結婚し、すぐに子供をもうけた。夫は彼女を大事にしてくれたが、子供の行動にある種の問題があると知るや、原因を理解しようとせず、子供にだけ辛くあたるようになった。やめてくれるよう彼女が何度懇願しても無駄だった。
ついに彼女は子供の為に別れを切り出した。
夫は嫌がったが、彼女の意思の強さに折れた。
養育費はしっかり成人まで振り込まれたというから、常識的な人だったのだろうし、彼女は愛されていたのだろうと思う。
夫と別れてからの日々は大変だったらしい。
転居は夫と別れたことがきっかけだった。
就職が難しい子供を養うため、看護学校に入学し、資格を取った。
両親も高齢になり、色々と問題も出てきて、そちらの病院にも通うことになった。子供が大病をして、眠れない夜を過ごしたこともあったと聞いた。
それでも練習には来ていたし、いつも通り明るかった。
私が感心したのは、苦労話をする時の彼女が
「でさあ~、もうどうなってんのって感じでまいっちゃったよ~」
とさらっと軽いことだった。
重々しく言われるとこちらの気分も沈むようなことを、ちょっと袖が何かに引っ掛かったくらいの軽さで言ってしまう。時折周りは笑いながら聞いていることもあった。
同情を引こうとも、隠そうとも絶対にしない。フランクに、事実を告げる。
でも、出したくないだけできっとしんどいはずやんな。
そう思いつつ、練習終わりに「お疲れっ!」と肩を叩いて手を振ると、ちょっと泣きそうな笑顔を向けてくれたこともあった。
私の転居が決まった時、二人で4時間呑んだ。
飲む量は知れている。ほとんどしゃべりっぱなしだった。
私は彼女には隠し事はない。彼女も私に隠し事はない。
音楽の事、家族の事、先生の事、仲間の事、仕事の事…二人とも全く違うステージにいるのに不思議だ。
「気心が知れる」というのはこういうことかと思う。
お互いに「今こういう心境」と言わなくても、察することが出来る。そしてそっと思いを寄せられる。心の中で「めっちゃ頑張ってるやん」と拍手して、そっと応援する。
この前も電話で姑の顛末を喋ったら、いっぱいアドバイスをくれて、
「また飲もうな~」
と言ってくれた。
随分遠くに離れてしまっているけれど、全然さみしくない。
Mちゃんにはいつでも会えるような気がしている。