自発的『他発的』ルール
今朝は爽快な目覚めだ。窓に叩きつける雨音すらも、なんだか心地良い。
身体は疲れ切っている筈なのに、あまりそうは感じない。単に疲れの出るのが加齢により遅くなっているだけなのかも知れないけれど。
どうしてこう清々しいのか、と寝床でゴロゴロしながら考えると、やはり夫が不在だからだろう、ということに思い至って、一人で苦笑いしている。
夫が不在だと、何が心地良いのだろう。
食事の支度をしなくて良い。
いや、自分の分はするけれど、好みや栄養面を考え、予算内でやりくりする・・・と言った七面倒くさい作業から解放される、というのは、料理の苦手な私にとって大きな負担減だ。
掃除がしやすい。
夫が居ればそれなりに気を遣う。世の中には『そこどいて』と掃除機の先っちょで夫をツンツンしてどかせるような妻もいるんだろうが、私はまだ一応その域には達していない。だから遠慮がある。
夫がテレビを観ていれば、邪魔にならないようにドアを閉めて掃除機をかける。夫のいる部屋の掃除は、どんなに時間的効率が悪くても後回しにする。
洗濯物が少ない。
自分の着ているものなんて、しれた量だ。汗かきで一日に何回か下着を替える夫の出す洗濯物はかなりの量になる。
それが急減するのは有難いとしか言いようがない。
しかし、ちょっと考えてみると、夫はこれらの作業を私に『やれ』とは言っていない。私が自発的にやっているのである。
私を呪縛しているのは、ほかならぬ私自身なのかな。
毎回は良い顔をしないだろうが、一回や二回、出来合いの総菜をテーブルに並べたって、夫は多分文句も言わずに食べてくれるだろう。
掃除だって毎日必死こいてやっているが、『埃では死なない』という信条の持ち主である夫が、多少掃除をサボったところで何かクレームを言うとは到底思えない。
洗濯をサボって着るものがなくなれば困るだろうが、コインランドリーで済ませたって良い訳で、ブツクサ言いながら自ら大量の洗濯をする必要性はどこにもない。
そういう言わば『究極の手抜き』を実行することを、私自身が自分に対して許せていないのだ。家事が好きではないと、自認している癖に。
そこには色んなもっともらしい理由がある。
お金が勿体ない。不潔にするのは嫌だ。栄養面の偏りはいけない・・・などなど、枚挙に暇がない。
でも突き詰めれば、『主婦としてそんなサボりは許されん』という、はっきり意識することもなく私が自分で勝手に決めた、自発的な『ルール』があるんだろう。
『自発的』とは言うけれど、その『ルール』は大いに、『世間体』とか『常識』とかいう『他発的』フィルターを、しっかりと通過してきているに違いない。
『普通の』家庭の主婦なら、すべきこと。
『世の中の大半の』主婦がしていること。
それらは私の知っている狭すぎる『世間』から、私が無意識のうちに、勝手に作り上げた虚構に過ぎない。
残念なことに、今までその虚構を崩すような経験を、私は殆どして来ていないのだ。
と気付いてはいても、じゃあ実際問題一歩踏み出して、『普通の』主婦からはみ出した行動をすることが出来るか、と言えば、そうはし辛い。
夫に遠慮するというのも勿論だが、何より自分に対して猛烈に後ろめたい。勝手に思っているだけではあるが、夫に対して申し訳ないような気持ちになる。
かくして私は夫の不在時のみに、『不良主婦』であることを堪能することになる。
普段の生活があるから、こういう日が有難いのかもと思う。
日々の家事を嫌々やっている訳ではないけれど、時には勝手に頑張っている自分のスイッチを、強制的にオフにすることも必要なんだろう。
なんにしても過ぎるのは良くない。
ほどほどに、でも思い切り?手を抜いて、この一週間をゆっくりとマイペースで過ごそうと思う。
夫の無事を祈りつつ。