華やかにさえずろう
『トリル』という奏法がある。『tr』と表記されたり、音符の上に音の長さに応じてギザギザした太めの線が書かれていることが多い。両者の併記型もある。イタリア語の『鳥がさえずる』という意味の動詞trillareが語源だそうだ。
一つの音とその二度上の音を細かい間隔で交互に奏でる。そのまま一つの音を演奏するより、ちょっと華やかな感じを出す効果を狙っている、と言えば良いだろうか。
他の楽器でも勿論行うが、クラリネットもトリルをすることがある。ポップス系の曲でも、そうでない曲でも、かなり頻繁に出てくる奏法である。
そう高い演奏技術は要求されないが、場合によっては『替え指』という難しい運指をしなければならないこともある。
モーツアルトのクラリネットコンチェルトの二楽章をレッスンで習っていた頃の話である。
この楽章の最後の方に長めのトリルが出てくる。静かにこの楽章を終わらせていく為の、控えめなもの悲しい美しさを表現することが求められる。
最初のレッスンの時、私はこれを
『レーミレミレミ・・・』
と吹いた。表記通りだと『レミレミレミ・・・』だが、ちょっと含みを持たせるというか、最初のレの音を少し長めに吹くことで、アクセントのような効果を持たせるつもりだった。
吹き終わって先生を見ると、無言のまま顎に手をやって考え込んでいる。何かマズイ吹き方をしたのだろうか。気持ちよく吹けたつもりだったのだが、一気に不安になってしまった。
下手に口をきかない方が正解だろうと思ったので、私は黙って突っ立っていた。
「このトリルなんですけどね・・・」
おもむろに口を切って、先生は件のトリルの場所を指差すと、また黙って考え込んでしまった。具体的にどうマズかったのだろう。首を洗って待つには長すぎる時間だった。
「色んな解釈の仕方があるので、貴女の吹き方も間違いではありません。が、僕がドイツで習ってきた吹き方はこうなんです」
そう言って、先生は
『ミ レーミレミレミ・・・』
と前に二度上の音を一つ足して吹いた。
先生の演奏は私のそれまでの経験から言うと、異質な感じがした。第一、トリルの『正しい吹き方』ではない。最初の音はトリルのついている音そのものなのが普通だ。二度上の音は『飾り』であって、先に鳴らす音ではない。
怪訝な顔をして黙っている私の顔を見ると、先生はハハハ、と笑った。
「まあ、流派みたいなもんです。でもこの吹き方がまあ、正統派というか、ドイツの吹き方というか。様々な研究の結果、モーツアルトの時代はこう吹いていたんだろう、という予測がなされていましてね。僕はそれに従っていつも吹いています」
トリル一つにそんなに細かい考察がなされていたのか、と感心してしまった。モーツアルトの研究をライフワークになさっている先生らしい発言だと思った。
私が先生に習い始めた初めの頃は、練習曲の中のトリルを演奏しようものなら、
「ストップ、ストップ!」
と制止が入り、
「トリル記号は非常ボタンではありません!ちゃんと『表現したい何か』があるから、その指示が書いてあるんです。『トリルか、よっしゃ、エイ!』とボタンをいきなり押すような吹き方はいけません!これだから吹奏楽の人は困りますね!」
と注意を受けてしまうことが何度もあった。
その後は気を付けて
『レーミレミ・・・』
と吹くようにしたりしたのだが、
「最初の音を長く伸ばせば良いってもんではありません。どう始めるか、どう終わるか。作曲家はどういう意図でこのトリルを入れたのか、それをちゃんと考えて吹きなさい。『なんとなく、こんな感じで良いかなー』で吹いてはいけません」
と思考回路を全てお見通しのような注意を受けてしまい、言葉をなくして俯いてしまうことばかりだった。
今となっては懐かしい。
来春の定期演奏会でする曲の譜面が、先週配られた。その内の一曲に、『祝典のための音楽』(フィリップ・スパーク作曲)があった。
この曲のクライマックスには、フルートとエスクラリネットが、一音ごとに細かいトリルを連続して奏でるフレーズがある。きらびやかなトランペットのファンファーレに花を添えるトリルで、私も大好きだ。軽やかに、美しく演奏したい。
美しい和音を多用するスパーク。その意図に思いを馳せながら、ティンカーベルの振り撒く金粉のようなトリルを吹くことが出来たら最高である。