時間が巻き戻せるなら
思えば今まで沢山の後悔をしてきた。あっさりとああ、しまったと軽く流せる程度の後悔もあれば、畜生、あの時は悔しかった、と歯がみをする思いが未だに蘇るような後悔もある。
しかしやるせない思いと共に、真剣に時間を巻き戻したいと思った後悔の経験を挙げるなら、今のところ一つしか思い浮かばない。
息子が高校生三年生の時だった。
通っていた高校では、文化祭と体育祭を一緒に、ぶっ通しでやってしまうことになっていた。あまり社交的な子ではなかったが、こういうお祭りは大好きだったから、生き生きと練習に励んでいた。
そんなある日、息子は帰るなり
「オレ、文化祭で太鼓叩くことになった」
と言った。
舞台での演舞に合わせて大きな太鼓を叩く役を仰せつかったらしい。団長から
「お前、和太鼓経験者らしいな。そこを見込んで頼みたい」
と言われたそうだ。
お前なら迫力満点で叩けるだろう、という団長直々のご指名だった。
この舞台は備え付けの太鼓がある、珍しいホールである。その太鼓はかなり大きく、上手に叩くにはそこそこ慣れていないと難しい。
太鼓は誰でも叩けば鳴るが、よく鳴る『スイートスポット』のような部分がある。そこを叩かないと、ベチベチと汚い音がするだけになる。
息子は高校受験ギリギリまで、和太鼓を真剣にやっていた。OBであるプロが部活動の指導に来てくれていたので、技術的なことを基礎から習っていたし、普通なら叩かせてもらえないような大きな太鼓の演奏も、何度か経験させてもらった。なので息子にすればこのホールの太鼓は、ああ、あれね、と言うくらいの感覚だった。
高校生になってからはすっかり遠ざかっていたけれど、マイ撥もあることだし、久しぶりにいっちょやってやろうか、というくらいの気分で引き受けたらしかった。
最初の練習の時、息子が初めの一発を叩くと、居合わせたメンバーが顔を見合わせて黙り込み、やがてザワザワし出したそうだ。あちこちから
「マジか」「スゲエ」「カッケー」
と言う声があちこちから聞こえてきて、息子はちょっと嬉し恥ずかしだったらしい。自分としては当然の、基本の叩き方をただ忠実にしただけだった、と話す様子は、照れ臭そうだけれどどこか誇らしげだった。
なのに、私はその本番を観ていない。行けなかったのではなく、行かなかったのである。
高校生にもなって親が文化祭をノコノコ観に行くなんて、しかも男の子の、という、親譲りの旧いステレオタイプの価値観が当時の私を支配していた。
自分も親が本番なんて観に来たことはなかったではないか。中学生までは行っていたが、もうエエやろ。そんな天邪鬼な気持ちが私の本当の気持ちを覆い隠した。ゾロゾロ誘いあって出掛けていく他の親達を冷ややかな目で見ながら、どうしても素直になれなかった。
バカとしか言いようがない。
同じ職場に、娘さんが息子と同じ高校に通っている人がいた。文化祭の日は仕事を休んで観に行った、と言っていた。息子が太鼓を叩いた、と話すと、
「あ!凄い上手な子いた!緑チームやろ?めっちゃ上手やったで!客席ざわついてたもん。何で聴きに行ってあげへんだん?」
と不思議がられた。
どう返事したかは覚えていない。
息子はその日、満足そうに帰って来た。
友人のツイッターで
「緑チームの太鼓、ヤバかった」
と呟いた子がいて、その子に沢山のいいね!がついたのだ、と言っていた。動画をあげてくれた子もいた、と言う息子は得意そうだった。
良かったね、凄かったね、と言いながら、私は本当に心の底から後悔していた。
高校生活最後の学園祭。そこでの息子の精一杯の演奏を、なぜ私はくだらない理由で観に行ってやらなかったのだろう。どんなに地団太踏んで悔しがっても、もう時間は巻き戻せない。
録画なんてしなくても良い。ただ、同じ時間を共有して、同じ舞台の高揚を味わってやれば良かったのに。
大抵の後悔は『あの時はバカだったなあ』と思いはするものの、自分の貴重な人生経験として自分の糧になると思える。あれも必要な経験だった、と思える。
だが、この後悔だけは本当に取り返しのつかない、一生の後悔として私の心に深く深く刻み込まれている。
自分の気持ちに蓋をするのは、これだからいけない。
もうこんなことはしない。けれど、あの舞台はもう二度とないのだと思うと、言いようのない寂しさと悔しさが今でもこみ上げてくる。
許されるなら、あの日に時間を巻き戻したい。