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夜の人形劇

子供の頃ウチの家では、子供は夜は必ず八時に就寝、朝は七時に起床すると「決められて」いた。守らないと父の鉄拳制裁が待っていたから、私達姉妹は毎晩、夕飯を済ませると追われるように風呂に入り、パジャマに着替えて髪を乾かすとおやすみなさいの挨拶をして二階の子供部屋にさっさと引き取らねばならなかった。
だから家族揃って食後のテレビを楽しんだとか、そういった思い出はほぼ全くない。

子供は早寝早起きしなければ心身共に健全に成長出来ない、というのが父の持論だった。理屈ではそれを理解できても、学校の友達が観ているテレビ番組を観ることが出来ず、話についていけなくて寂しい思いをした苦い思い出も沢山ある。
小学校六年生の時クラスで開いたお別れ会で、当時流行っていたH²Oの「思い出がいっぱい」という曲を歌おう、となった時、クラス中で歌詞を知らないのは私だけだった。歌詞カードも持たずにみんなが一斉に歌い出した時、自分だけが歌えずべそをかいてしまったのは、小学生時代の最も苦い記憶の一つである。
だから自分の子供には早寝を強制はしなかった。ちょっとくらい夜更かししたって、強制的に寝床に送られるよりよほど健全に育つ、と身をもって知ったからでもある。が、ウチの子は夜更かしが苦手で、いつもバタンキューと床に入りすぐに寝息を立てだす子供だったから、こんな心配は要らなかった。

ウチの子はそうだったが、私達は寝床に入ったってすぐに眠れるタチではなかった。そういう時は、どちらからともなくお喋りを始めるのが習慣みたいになっていた。
一緒に寝ているぬいぐるみを使って、ちょっとした人形劇みたいなこともやった。設定は親子だったり、恋人同士だったり、友達同士だったり、その時々で色々だったが、いつも楽しくて夢中になっていた。今思い返しても、つまらなかったという記憶は不思議なほどない。余程楽しかったんだろうと思う。
最初のうちは親に聞こえないようにヒソヒソ声で話しているのだが、そのうち楽しくなってヒートアップすると大きな声で笑ったりしてしまい、階下の父が壁を叩いて
「こらっ、いつまで起きとる!」
と抑えた怒りを爆発させそうな気配を静かに漂わせ始めると、慌てて布団を被って狸寝入りを決め込んだりしたものだった。

私達は二段ベッドに寝ていた。妹が上で私は下の段だった。夢中になりすぎた妹が身を乗り出しすぎて、布団ごとずり落ちてきたことも何度かあった。
幾度となく注意されたし、時には怒った父に布団の上から蹴られたりしたけれど、私達は長い間こうやって遊んでいた。
ささやかな反抗だったのか。抑えきれない遊びの欲求が私達を陽気にした。普段は父の顔色を伺い、怒らせまいとばかりしていたのだが、この時ばかりは私達の頭から父の機嫌を損ねまいとする気持ちはどこかに行ってしまっていた。
「これぐらいしても良いじゃないか」
という気持ちが、自分達の中にあったのだと思う。

父は怖かったが、この件については不思議とトラウマになるほど叱られたことはない。
「長い間起きていると電気代がかさむ」とか、「寝不足になると学校の成績が落ちる」とか言われたが、子供が一~二時間部屋の電気を点けっぱなしにした所で電気代なんかしれたものだったろうし、寝不足でなくても苦手な教科はあった。そう言ったことより父に脅されることの方が、私達姉妹にロクな影響を与えなかったのではないか、と振り返って思う。本物の愛情だったとは未だに思えない。

それでも妹と二人、ぬいぐるみでコソコソと遊んだ記憶は懐かしい思い出である。父が私達を早い時間に寝床に追いやらなければ、こういう時間は生まれなかったかもしれない。面白いものだと思う。
二人共もう孫がいてもおかしくない年齢になってしまったが、妹とベッドで毎晩こっそり交わした会話は楽しかった記憶として、私の胸に今も温かく残り続けている。





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在間 ミツル
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