それくらいでエエんじゃない?
昨日の夕食後のことである。
夫の投げかけた問いに、思わずずっこけてしまった。
「なあ、アイツ就職するんやろ?」
『アイツ』とは、他でもない我が家の息子のことである。
常日頃から自分以外の人に無関心過ぎるとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
あんまりなセリフに、感心して口をアングリ開いてしまった。
こんな父親、そういないだろう。
「内定はもう貰ってるって、この前来た時言うてたやろ?でも学校の先輩が何人か『ウチの会社にもいっぺん話聞きに来て』って声かけてくれてるから、もう少し本命を絞り混むのは待ってるって言うてたやん!」
先々月、夏休みを利用して帰ってきた息子は、そんな話をしてくれたのである。だから心配しないでね、と。一緒に聞いてたやん。
「そんなこと言うとった?覚えてへん」
覚えてへんとは恐れ入った。
もしかしてもう認・・の始まり?ちょっと早すぎないかい?
よしんば詳しく覚えていないにしても、『就職するんやろ?』とは、何とも呑気すぎる言葉だ。よその家の子供さんなら知らないが、自分ちの長男。この人の頭の中は一体どうなっているのやら。
びっくりを通り越して、可笑しくなってしまい、腹を抱えて笑ってしまった。
「アンタ、呑気やなあ」
例え自分に百パーセント落ち度があったとしても、こういう風に言われることを、夫は好まない。自尊心が傷つくようで、やたら不機嫌になる。プライドが高いんだろう。
「だって、ホンマに聞いてへんさかい」
と頬を膨らませて黙り込む。
気の毒とは思うが、やっぱり私は笑いが止まらない。
でもこれくらいの温度でいるのが、息子にとっては案外良いのかなあと思う。
私の両親はこういうことに異常なくらい喧しかった。
エントリー先に断られたりすると、何故か私よりも母が機嫌悪くなった。
父は「○○社やったら常務に知り合いが居るから、捩じ込んだるぞ」等と色々口を出し、その度に辟易した。
口ではありがとう、と言いながら、私の為というよりは、自分の権威を示したいのかしら、と
密かに鼻白むことも多々あった。
断られて誰よりもショックなのは就活している本人だというのに、先に親に落ち込まれてしまうと、自分の感情のやり場がなくて困った。
望まない口添えは、私本人をそのまま見て貰える機会を奪ってしまうことだと、気付かないことにも呆れたものだった。
私の就活のしんどさは、半分ぐらいは対親のしんどさが占めていたと言って良い。
夫も親として、一応心配はしているようだが、その程度たるや、著しく低い。そして最早どんな会社でどんな仕事をするか、ではなく、『働くかどうか』まで究極にバーを下げての質問をしている。世間一般の親としては考えられないことなんだろう。
少なくとも、夫は私の両親からは想像も出来ない父親だが、呆れつつも私はこれで良いような気がしている。
昔の私の両親がこんなだったら、どんなにか気楽で有難いことだろうと思う。
どんなに心配したって、所詮就職するのは息子であって、私達親ではない。
出来るのは見守ることだけだ。
なら、関心の度合いはこれくらいでも問題ない。
働かないというなら、養ってやるしかないなあ、でも本人はそんなこと望んでへんやろなあ、というのんびりした推測がある。
その気持ちの裏には、息子に対するとことんまでの信頼がある。
『なんとかしよるやろけど』という、緩い見守りの気持ちがある。
我が家には実に素晴らしい親子関係が構築されているじゃないかと、自画自賛している。
ものは考えようだ。
親の期待と不安を子供にぶつけても、子供を傷つけるだけだ。何にも返って来はしない。
血の繋がった『他人』が懸命に生きている様を、ただ温かい気持ちで見守り、心の中で応援する。
いつでも帰っておいで、と両手を広げて待っているだけで良い。
あらためてそう思う。
泣いても笑っても、息子が晴れてアカデミックガウンを着る日まで、あと半年もない。
卒業はしてや~と思いつつ、まあダメでもなんとかなるわ、アイツの運命アイツがなんとかしよるワイ、応援したったらエエ、と私も夫に倣ってのんびり構えることにしている。