そんなの買いませんよ!
夫は私と一緒に買い物に行くのを極端に嫌う。
「嫁さんと休みの日に一緒に買い物に行くなんて、やることのない、つまらない濡れ落ち葉みたいな男に違いない」
と、時代錯誤な偏見を露にしてはばからない。
そんなについて行くのを毛嫌いしなくてもいいのに、とは思うが、どうも主従逆転のように思えて、夫には我慢ならないらしい。
ついてこられてもたいして良いことはないので、勝手に『男』ぶっておけ、と思いつつほったらかしにしている。
ところが何かのタイミングで、夫が
「今日は一緒に買い物に行こう」
と急に言ってくることが稀にある。
何か買って欲しいものがあって、でも私にチョイスを任せるのは本意ではない時とか、買うつもりはないけれど何か新商品の情報を得て、ちょっと見てみたいけれど自分一人でスーパーをうろつくのは格好がつかないから、と言ったような動機であることが多い。
私から見れば不純で、禍々しい動機だが、夫にしてみれば私がどう思うかなんてどうでも良いことである。夫の心の隅の隅に押しやられて、あっさりと忘れられてしまう。
一緒に行くのは別に構わない。が、やめて欲しいことが一つある。
色々商品を見繕ってきて、私の買い物かごにポイポイ入れるのである。籠を持とうともしない。
子供相手なら、
「これ!そんなの買いませんよ。棚に戻しておいで」
とか、
「今度のテストで満点取ったら買ってあげるから、今回は我慢しなさい」
などという方便も使えるが、相手が良い歳をした頑固なオッサンになると、諦めさせるのは至難の業である。
別に節約主婦の鑑みたいなことはしていないが、それでも不要なものはなるべく買わないよう、常々心がけているつもりである。なのに、その私の努力?を水泡に帰してしまうような、どう考えても不要としか思えない物品の数々を、無造作に籠に放り込まれるととても腹立たしい。
しかし公衆の面前で夫を叱る訳にもいかない。
「ちょっと、なんでこんなん持ってきたん?」
一応小声で抵抗してみる。
が、
「ウマそうやんけ。これ、食ってみたいと思ってたんや。ちょっと試してみようや」
と普通の声の大きさでにこやかに言われてしまうと、言葉に詰まる。
周囲の人の目もある。たかだか袋菓子一つ、買う買わないでスーパーの棚の前でもめる五十代の妻と六十代の夫は、きっと奇異の目を以て眺められることだろう・・・そう思うと、もう抵抗は出来ない。
不承不承、眉間に皺を寄せて夫と品物を交互に見比べつつ、ため息をつくことになる。
夫の方は上機嫌で、鼻歌を歌いながら次なる獲物を探してウロウロしている。
スーパーなんてこっちは毎日通う、刺激も殆どない場所だが、夫のようにたまにしか来ないと、ワクワクする楽しいところのようだ。
こうやっていろんな『無駄な買い物』をして精算をすると、いつもよりはるかに高くついている。
「あーあ、今日は高くついたよう」
サッカー台でブツを鞄に詰めながらブツブツ言い、上目遣いで夫を見てささやかに抗議の意を示すのだが、
「たまにはエエやんけ。あー○○、どんな味やろな。食べんの楽しみやなあ」
と軽く一蹴されてしまって終わりになる。
しかし夫と買い物に行くと、良いことが一つだけある。
重いものを持ってもらえることだ。
だから夫が『無駄なもの』をポイポイ籠に放り込む時は、野菜ジュース、酒、牛乳などの水物をいつもより多めに買うことにしている。
「お前、いつもこんなに重いの持って帰ってるんけ?」
と夫が呆れるが、
「うん、そうやねん。可哀想やろ、大変やろ」
としっかり『女子』アピールも忘れない。
どれだけ夫の心に響いているかは未知数だが。
滅多にないことだけれど、夫と肩を並べて帰る買い物帰りはちょっと楽しい。
無駄な散財をしたことは遺憾だけれども、周囲の景色を一緒に見ながら
「あ、あのビル、綺麗になったね」
「塗りなおししたんやな」
とか、
「散髪屋さん、今日は臨時休業やって。おばさん、何かあったのかなあ」
「この前行った時、もうすぐ旦那さんの法事あるって言ってたぞ。それちゃうか」
なんて他愛のない話をする時間は、家の中で顔を突き合わせているだけでは得られない、貴重なひとときである。
しれた金額だし、たまには無駄遣いも悪くないか。