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謝謝

私が大学生の時だから、今から三十年以上前の話である。
大阪の阪急三番街という大きな地下街でアルバイトをしていた。卒業も近くなると授業は殆どなく、おまけに通っていた学部はなんと『卒論』がなかったので、就職先を決めた後は留学に向けて、私はアルバイト三昧の日々を送っていた。
その頃の阪急梅田駅は東京の新宿駅に次いで乗降客が多い、と聞いていた。梅田駅からJR大阪駅に向かう連絡橋は今のように開放的で広く美しいものではなく、通勤通学の時間帯には人の流れに逆らって歩くのは至難の業だった。無言の人の群れが行き交う中、歩く音だけがザッザッと聴こえる異様な空間を通って、私は毎日通学していた。

ある日の夜、バイトを終えてさあ大阪駅に向かおう、といつものように人の群れに合流しようと歩きだした時、大きな荷物を持った四十代くらいの一人の男性が、小さな紙を手にキョロキョロしているのが目に入った。明らかに困っている様子である。行き交う大勢の人は皆無関心だ。
どこか行きたい店でも探しているのだろうか。地下街は迷路のように入り組んでややこしい。総合案内所はすぐだから教えてあげようかな、と思って
「どうされました?」
と声をかけると、男性はホッとした顔を私に向けた。が、身振り手振りしかしない。
ああマズイ、と思った。外見は日本人に見えたが、おそらく中国か韓国の人だ。私は勿論どちらの国の言葉も話せない。簡単な英語なら、とトライしてみたが、
「ノー、イングリッシュ」
と困惑した顔で首を横に振られてしまった。
だが、男性が非常に焦っているのはよくわかった。どうしたいんだろう。そう思った時、彼は手に提げた沢山のお土産の入った袋から一つの包みを取り出し、持っていたペンでその包みに
『新幹線』
というような文字を書いて私に見せた。この字の通りではなく中国語の表記っぽかったが、かろうじてそう読めた。
漸く合点がいった。新幹線に乗りたいが、どこに行ったらいいかわからないのだろう。私の表情が変わったのを見ると、彼は期待に目を輝かせて何度も頷いた。

ここは阪急梅田駅だから、新幹線に乗るにはJR大阪駅まで行って、そこから電車に乗って新大阪駅まで出なければならない。ペンを借りて同じ包みに「大阪→新大阪」と書いて示し、身振り手振りで説明してみるものの、なかなか分かってもらえない。が、とりあえず「JR」だけはわかってもらえた。男性がちょっと嬉しそうになる。
どうせ私もJRだ。一緒に行きましょう、と手振りで案内すると、男性は私を拝むようにしてついてきた。
切符を買うのに付き合い、無事に改札を抜ける。
新大阪行きのホームは私の乗る環状線のホームから随分離れている。ちょっと面倒くさいな、と思ってホームの番号を指で示して行くように促した。だが彼はまた不安そうな顔をして、その場で固まってしまった。
しょうがない。ここまで来たらもういいや。
結局、新大阪方面行のホームまで一緒に上がった。

そんなに経たないうちに、電車が滑り込んできた。私がそれを指差して指で丸を作ると、彼はとても嬉しそうに何度も頷いてニコニコした。そして持っていた袋からお土産を一つ取り出し、私に押し付けた。
何かで感謝の意を示したいという気持ちの表れだったのだろうが、日本人の私が日本のお土産を貰ってもしょうがない。きっと他に渡せそうなものがなかったのだろう。
私は笑って首を横に振って、それを彼に返した。彼は何度も私に頭を下げ
「謝謝!謝謝!」
と言った。
私は動き出した電車に向かって笑って手を振った。彼が手を振るのがちょっとだけ見えた。無事に新幹線に乗れるといいな。
なんだか温かい気持ちになって帰宅の途についた。

よく「あなたは中国が好きですか」などというアンケートがある。どうも最近は「嫌い」と答える人が増える傾向にあるらしい。昨今の情勢では無理からぬ事だとも思う。三十年前とはかの国も随分様変わりしたことだろう。
でも私は中国と言うといつも、あの時お土産を押し付けた彼と、心のこもった「謝謝!」を思い出す。
人は争いなんて誰も望んでいない、と強く思う。