切ったんですか?
先日、私がレジに入っているとベテラン社員のAさんがやってきた。
ウチの店は一階で紳士・婦人靴、三階で子供靴を扱っている。だから三階にも靴売り場のメンバーを配置しなければならない。それがAさんである。だから私達一階のメンバーとは滅多に会うことがない。
Aさんは接客姿勢が素晴らしく、お客様の評判も上々である。が、同僚や部下には自分と同じぐらいの丁寧な接客姿勢を求める…いや求めすぎるきらいがあり、実は男性や若い社員からはちょっと煙たがられている。私は接する機会が少ないし、Aさんの素晴らしい接客を何度か目にして感服したので、全然そんなことはない。ただ、厳しい人ではあるので、妙な接客をして怒られやしないかと、少なからず緊張はしている。来られると背筋が伸びる感じがする。
Aさんはいつもきびきびした足取りでやってくる。一階のレジの人手が何時だったら手薄なのか、応援に降りて行く必要のありそうな時間帯をシフト表を見て確認するために来てくれるのだ。
Aさんが来るとレジ内はなんとなく緊張した雰囲気になる。みんな口数が少なくなる。Aさんはそんな私達に全く関心を払う様子もなく、無表情でさっさとレジに入ってくる。
その日もAさんはつかつかとレジにやってきた。相変わらず無表情である。
だがその日、Aさんはいつもと違う髪型だった。
いつもは少し伸ばしかけた髪を、邪魔にならないように無造作にまとめて後ろで一つに括っているのだが、さっぱりと短く耳のあたりで切りそろえ、それがAさんの小さな顔によく似合っていた。華奢な肩が余計にほっそりと、可憐な感じに見えた。
私は思わずこう言った。
「Aさん、髪切ったんですね!凄い似合ってます!」
お世辞のつもりはなかったが、言ってしまってからご気分を害したかな、と思った。
私とAさんは殆ど言葉を交わしたことはない。Aさんはちょっといぶかしそうに私を見た。でもその表情はすぐ緩んだ。
「うん、邪魔だから久しぶりに短くしたの」
軽くそういうと、笑顔になった。「邪魔だから」なんて、Aさんらしい答えだ。照れ隠しかな。私もつられて笑顔になった。
「じゃあ、〇時になったら降りてくるって課長に言っといて」
「わかりました。お疲れ様です」
必要なことだけ言って足取り軽く去っていくAさんを、私はいつものように見送った。
Aさんが私に笑顔を向けてくれたのはこれが初めてだった。
夫の姉から聞いた話である。
姉は早くに自分の姑、舅、小姑を立て続けに送っている。
特に小姑は生涯一人暮らしで気難しく、死期が迫るとヤケクソになって周囲に当たり散らし、世話をする姉に物を投げつけたりして大変だったそうだ。
もう数日のうちだろう、と医者に告げられたある日、姉は小姑に、
「姉さん、髪綺麗にしとかへんか」
と言ったそうだ。するとそれまでは何でも抵抗していた小姑が、
「ちゃんとした美容師さんやないと、嫌やで」
と返事した。何も話してはいなかったが、自分の死期が近いことを悟っているのだな、と姉は感じた。
友人に出張理容をしている人がいたので、姉はその人に事情を話して来てもらい、小姑のカットをしてもらった。
鏡に映った自分の姿を見た小姑は満足そうに、
「ありがとう」
と言ったそうだ。
「ありがとう、ってあの人が私に言うたの、後にも先にもあれっきりやったんやで」
姉は静かに笑いながら教えてくれた。
美容院に行ってカットを終え、鏡に映る自分を見た時は誰だって「お、ええ感じになったやん」とウキウキする。別にそれを誰かに同じように思ってもらおうとは思っていないけれど、自分の変化に誰かが気付いてくれれば良い気分であるのは間違いない。
ウキウキする時の女の人は、誰だって綺麗なのだ。見逃すのは勿体ない。
おい、聞いてるか、そこのコタツムリ!