見出し画像

『ゴメンね』よりも『ありがとう』

この三連休は、怒涛の三日連続合奏練習である。
二月の定期演奏会まで、まとまった休日はここしかないからだろう。お尻に火がついているから、老体に鞭打ってせっせと通っている。
それもあと一日。朝九時から夕方の五時まで。
頑張れ私、と声をかけている。

終日練習の日に困るのは、食事の用意である。
夫の朝昼に加えて、夕飯の準備もして行かねばならない。
夕飯の用意は帰ってからでも出来ないことはないが、体力的に自信がないから、予めしておくことにしているのだ。

朝食はサラダ、目玉焼き、果物。これは毎日の定番メニューで、夫のリクエストであるからこの通りに用意する。
昼はいくつかのパターンがある。
前日の夕飯の残りで済ませる時もある。
残りがなければ新たに作らねばならない。チャーハン、オムライスなどのご飯もの、ナポリタンや焼きそばなどの麵ものなど。大抵は一品で済ませられるメニューにしている。
夕飯もメンツは決まっている。カレー、シチュー、おでん。夏なら冷しゃぶサラダ。どれも前日に作り置きが出来るから、凄く便利なのだ。
鍋物だと材料を洗って切るだけなので、これもよく登場させる。

こうやって合奏練習に出かける準備をしていると、子供の頃を思い出す。
母がカレーを作っていると決まって、
「お母さん、明日試合?」
と訊いていたからだ。
母はママさんバレーを熱心にやっていた。身体も柔らかく、瞬発力も年齢以上の母は、始めて間もなく実業団出身の人達と混じって、セッターとして活躍していた。
毎週金曜日夜、母は地元の学校の体育館で汗を流した。
稀に日曜日に練習試合があり(当時土曜日はまだ仕事のある日だった)、そんな時は帰宅が遅くなったりするので、母はよく前の日に翌日の夕飯の支度をしていた。

家には父、妹、私が居た。子供は二人共娘だけどまだ小学生で、夕飯の用意を二人だけにさせるのは不安だったに違いない。
父は器用で食事くらいちゃんと作ることの出来る人であるが、自分が遊びに行っているのに『夕飯を作ってくれ』なんて言えない、そんなこと言おうものならきっと激しく怒られるに違いない、母はきっとそう考えて父には頼まなかったのだと思う。
昭和の終わり頃、まだまだ亭主関白という言葉が大手を振ってまかり通っていた時代である。母の感覚はあながちおかしなものとは言えなかったろう。

自分も子供が幼い頃から同じことをしてきた。
そしてやっぱりカレーを作っていると、息子は
「お母さん、明日本番の日?」
と訊いてきた。
無邪気に問う姿に、昔の自分を重ねて戸惑った。
あんな母親になるものか、と思いながら何故か同じ行動をとってしまっている自分に、嫌気がさした。

一度、大きくなった息子に謝ったことがある。
「いつも本番の度に同じメニューでごめんな」
すると息子は
「へ?全然そんなん思ってへんで。好きなもんばっかりやし」
と笑った。
気を遣って言っている、という風では全然なかった。
単に自分が変に後ろ暗い気持ちでいたというだけだったんだなあ、と気付き、母の呪縛から解かれた気分になった。

以来強化練習時に食事の準備をする時は、何も心に引っ掛かりを覚えることなく出来るようになった。
三連休中ずっと放置しているのは申し訳ない気がするのだが、夫は
「お前、無理すんなよ。夕飯なんて、何でもエエぞ」
と声をかけてくれるのみだ。
こうやって本番直前に休みが潰れることに、家族はもうすっかり慣れてしまっている。
でも申し訳ないと縮こまるよりも、『ありがとう』と言った方が良いんだろう。

半ば義務的に、しょうがないといった様子で食事の準備をしていた母だったが、試合中はそんなこと忘れてしまったかのようにイキイキとしていた。
そんな母を見ることが、子供心に嬉しくもあったことを思い出す。
精一杯非日常を楽しむこと、大好きなことに没頭することがきっと家族の為。
一日分のご飯の用意をするのも、今日で一先ず終わり。
さあ、楽しんでこよう!















いいなと思ったら応援しよう!

在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。