父の横顔
私の父は寡黙な人である。人間のうち、余計なことをペラペラしゃべるタイプが最も嫌いだ。だから母が姉妹三人でとりとめもない話をしていたり、私と妹が声高に談笑しているのを聞くと、いつも眉根を寄せてムッツリと機嫌悪く黙り込んでいた。
そういう時に父から発せられる『機嫌の悪いオーラ』は物凄い圧があり、周りはいつもハッと気づいて黙り込むのだった。本当は仲間に加わりたいけれど入っていくことが出来ない、そんな自分に苛立っているようにも見えたし、黙っている自分にも関心を向けて欲しいようにも見えた。いずれにしても怖かったので、父の前で賑やかに喋ることは誰しも憚られた。
そんな調子だったから、父が自分から過去の話をするなどということは殆どなかった。あの時は悔しい思いをした事とか、凄く嬉しかったとか、そういう事を喋るのは、男として恥ずかしいと思っているようだった。だから父の心の深い所にある思いには家族中誰も、長年連れ添った母でさえ触れたことがなかった。父の母である祖母はと言えば、子育て中は忙しさのあまり真ん中っ子の父には無頓着だったように見えたから、もしかしたら私達以上にわかっていなかったと思う。
昔の父は、冗談を飛ばすことも殆どない人間だった。
何か不愉快なことに直面しても、自分は黙ってひたすらじっと耐える、そんな風に決意しているように見えた。他人と深い関係を結ぶことに対する潔い諦めなのか、厳しく自分を律しようとする戒めなのかはわからなかった。尤も今は明るくはないものの、年齢がそうさせるのか、多少饒舌にはなっている。
そんな父が一度だけ、大学生だった私に悔しかった自らの記憶を話してくれたことがある。
父は学生時代、少しでも母親を助けようとアルバイトに精を出していた。一番割が良いのはゴミ収集だったそうで、バイト代が出る上におやつにあんパンが支給されたという。
しかし、そればかりもしていられない。ある時、少しでも割の良いバイトを探して、父はある会社に応募した。面接の日を指定され、履歴書を持って行って差し出すと、中を見た担当者はいきなり
「君は雇えへん。帰ってくれ」
と言って履歴書を突き返した。
驚いた父が訳を尋ねると、
「君は片親やないか。金を持ち逃げされたりしたら困る。片親の人間は信用出来ひんから、ウチは雇えへん」
とこともなげに言われたのだそうだ。
父は抗議することもなく、黙って帰ってきたらしかった。
父の父は戦死している。当時はそんな学生はごまんと居ただろう。酷い話である。そんな理由で採用を断るなんて今だったら大問題だが、当時はまだまだ社会にそういう偏見が蔓延していたのだろうと思う。
話を聞いた私が憤慨するのを父は黙って聞いていたが、
「オレの所為ちゃうのにな」
と言って明後日方向を見たまま、口元だけで笑った。その横顔は寂しそうでもあり、悔しそうでもあった。
私は何も言えなくなってしまった。
あまり見たことのないその表情は、私の記憶に深く刻み込まれた。
その会社は今も存在する、誰でも知っている有名企業である。父はその会社の商品を未だに買おうとせず、同じものだと他の会社の商品ばかり買う。
父から話を聞いてからというもの、私もその会社の商品はなるべく買わなくなってしまった。つい避けてしまうのだ。手に取る気になれない。積極的に避けているつもりはないのだけれど、商品を見ると「ああ、昔父を傷つけたあの会社だ」という思いが、どうしても頭に浮かんでしまうのである。
今から六十年ほど前に言われた一言が、今でも父を傷つけ苦しめている。父は「今となってはどうでも良いこと」と笑ったが、本当にそうなら商品を避ける必要はないだろう。
たまたま父に接したその社員だけがそういう偏見の持ち主だったのかも知れないが、つい「そういう考え方をする会社なんだ」という風に思ってしまう。
最前線でお客様に接する人が如何に会社のイメージに大きな影響を及ぼすのか、よくわかる出来事だとも思う。
父は多分、死ぬまであの会社の商品を買わないだろう。私はそこまでは思わないけれど、やっぱり死ぬまで「あの会社だ」と引っ掛かり続けるだろう。
不用意に人を貶める発言など、するものではない。世代を超えて人を傷つける。
父の傷が癒えることは、永遠にない。