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静かな夜

夫は戸惑っている時黙り込む。今夜もそうだ。戸惑いの理由は私が突然流した涙である。

私が毎日姑に電話を架けるようになってから、二か月ほど経っただろうか。同じ話の繰り返しも、子供のような甘えも、血の繋がらない者の気安さでホイホイと聞いている。遠慮しながらも、誰かに自分のリアルな心情を訴えることで気楽になるのか、姑は電話を切る頃には元気な声になっていることが多かった。
会話にはいつも姉の名前が登場する。「ちっとも構ってくれない」「何もしてくれない」「電話もすぐに切ってしまう」と散々文句を言っているが、内容から推察するに、姉は二、三日に一度の割合で姑を訪ねている。
どの口がそんな事を平気で言えるのか、と呆れもするが、自分でそれがわかるようなら姉と喧嘩になることはない。
相変わらずのクソババアっぷりである。

が、ここのところ姑の声が全く元気がない。どうしたのだろうと思いつつ、特にそれを追求することもなく、とりとめのない話に相槌を打っていると、
「私なあ、最近おしっこが間に合わへんねん」
と突然姑が絞り出すようにポツンと言って、自嘲気味に笑った。
「オムツは一応してるけどな。自分の意思と関係なく漏れるねんな。『ああ、私何してんのやろ』と思うと情けのうなってきてな」
私はそれは辛かったですね、という言葉しか見つけられなかった。

排泄は人間の尊厳に関わる。それが自分の思うように行かない時、子供だって大きく傷つく。ましてや衰えつつある自分を認めたくない姑は、どんなにショックだったろう。
「普通にショーツ履いて外歩いてな、普通に好きなもん買いもんしてな、そんな風に普通に今まで通りにしたいだけやのにな」
姑が何気なく言ったこの言葉には、実感と忸怩たる思いが溢れていて、相槌を打ちながら思わず涙が溢れてしまった。

デイケアも行きたくない。認知症の人の横の席になると凹むからだ。お風呂に入れるのは気持ち良いけど、まるでベルトコンベアのお菓子みたいに流れ作業で扱われるのは嫌だ。しんどいと言っても、赤子をあやすように言われるだけで、親身に心配してくれる人は誰も居ない。
ヘルパーさんは有難いけど、つい遠慮してしまう。他人が家の中に入ってくるのはやはり平気ではいられない・・・。
姑の不満は尽きることがなかった。

自分の尊厳を大切にされていないと感じるのはいくつになっても辛く、耐え難いことだろう。だが姑は粘りつくように自分の大変さをアピールする人だから、まともに相手をしているとこちらの神経も参ってしまう。現に姉は何度も病院にかかっている。全部をしっかり受け止めることのできる人は存在しない。
姑の言葉には、加齢に抗いたいという強い本音が見える。それはいずれ私達にもやってくる時なのだと思うと、あながち『ワガママばっかり言うたらあかんやろ』とたしなめる気にはなれない。
衰えていく自分を目の当たりにして、姑は周囲に『なんとかしてくれ、助けてくれ、私の思う通りにさせてくれ』と訴えている。だが、それは人間に等しく課せられた運命。悲しいけれど、誰にも『どうにかする』ことは出来ない。
残酷なようだが、姑が『自分で』折り合いをつけるしかないのだ。

姑はあまりにも、事の解決を自分以外の誰かに求めすぎている。だが、その事実に気付いていない。本当は姑自身が事実を正面から見て、そう言う自分でも良い、自分が好き、と思えることが出来ればこんな不平は出ない筈なのだ・・・。
理屈上はそうなる。が、私が今の姑と同じ状況に陥った時、その状況を客観的に眺めてそんなに冷静に対処できるだろうか。
自分のオムツを不本意に濡らしてしまったら、落ち込まないだろうか。自信はない。
そう思うと姑が哀れになってしまった。勝手に涙が出てきた。
夫は私が電話しながら泣いているのを見て、とても驚いた。理由を話すと夫は、
「そうか・・・」
と言って黙り込んでしまった。
私の涙にも普段は動じない夫であるが、姑の失禁は夫にも少なからずショックだったのだろう。

私は涙を拭いて寝そべったままの夫の側を離れると、皿を洗うためにシンクに向かった。
皿洗いの水音と、夫の観ているテレビの音声だけが、部屋に響いている。
今夜は静かな夜である。






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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。