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美女の条件

最近あちこちでツバメの姿を見かけるようになった。颯爽と風を切り、かいがいしく雛のお世話をする様子は可愛らしく、どこかいじらしい。

このツバメの巣を見ると、思い出す絵本がある。
『かみながひめ』というタイトルで、絵が和風であまり子供の好きそうな絵本には見えない。が、幼かった私はこのお話のサクセスストーリーにとても心惹かれてしまった。

あらすじはこうだ。
紀の国の漁師夫婦が、遅くに授かった女の子には毛が生えてこなかった。
不漁が続いたある時、沖の方に光る物がある。あれが不漁の原因に違いない、誰か潜ってみてこい、ということになり、女の子の両親が向かった。が、父親は沈んでしまい、母親は小さな光る観音像を見つけて拾って戻ったけど、岸についてすぐ死んでしまった。女の子にはこのときから毛が生えだした。
この女の子は、観音様から頂いた毛だから、と言って抜けた毛を大事に庭の木にかけて取っておいた。
その一本を鳥が宮廷にかけた巣に持ち帰り、帝のお目にとまる事になった。
こんな見事な黒髪の持ち主がいるなら、是非お嫁さんにということになり、女の子は帝の妻になった。
メデタシメデタシ。

…という話である。
和歌山と奈良は隣り合ってはいるが、都と海岸は随分離れているから、鳥のテリトリー的に無理がある。
私の見た絵本はツバメの巣が描いてあったが、一説にはスズメの巣とか、ただ単に「鳥の巣」と書かれている本もあるようだ。
ツバメの巣だと、帝が髪の毛を引っ張ると巣が崩壊するか、髪の毛が切れるだろうから多分違うような気がしているが、私の頭の中のイメージはツバメの巣である。

昔の美女は今の美女とは随分違う。子供の私には、挿絵の『美女』は美女に見えなかった。
線のような目、ぽっちゃりし過ぎた頬。目がぱっちりして睫毛の長いディズニーのお姫様と全然違って、可愛くないのに。帝はどうして顔も見ずに美女って思ったんだろう、と子供心にちょっと不満?に思っていた。

友人に、たいそう立派な艷やかなたっぷりした黒髪の子がいた。そんなに美女ではなかったが、旦那様はお付き合いしている頃、いつも彼女の髪を物凄く褒めてくれたそうだ。自分では髪が多すぎてまとめるのが大変だし、シャンプー後はなかなか乾いてくれないし、と厄介者扱いしていたそうだが、『初めてこの髪で良かったと思った』と言っていた。
やはり昔も今も男性は、豊かな黒髪の女性が好きなのかも知れない。

テレビで映る男性を見る度、ウチの夫は、
「あの人は年齢の割に髪が多い。きっと増毛しているんだ」
「あの人は年齢の割に少ない。あれなら俺のほうが多い」
などとイチイチ言う。
かくいう夫自身は、お世辞にも髪が多いとは言えない。だからイチイチ、毛量勝負をしたくなるのだろう。

私の方が夫を見下ろす事はないので(階段を後から降りる時は別)、基本的に私は夫の毛量を気にしたことはない。今はまだそこまで減ってないけど、ツルツルでも別になんとも感じないと思う。
毛量を気にする男性には沢山お目にかかってきたが、なんで気にするのかなあ、といつも思っていた。
夫は、
「あったほうがカッコええやんけ」
と言う。そうとも言い切れないよ?と思うのだが、男心は複雑なようだ。

ツバメの巣を見ながら、こんな事を考えてしまった自身の不毛ぶりに、苦笑している。