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『ランチ』が苦手

近所に地域の人の運営する小さなカフェがある。
先日昼時に前を通ると、お年寄り数人がランチを楽しんでいた。アクリル板の衝立はあるものの、皆さん和やかに談笑されていた。
制限はあっても、人と人がこうやって話が出来るようになったのは嬉しいな、と思って見ていた。

私は『ランチ』なるものが苦手である。
昼間は活動時間であって、昼食はその途中でエネルギーチャージをする為だけの物と捉えている。
だから私にとって昼食はさっと手軽にすませるものであって、ゆったりと楽しむものではない。

世の中のお母さん達は、『ランチ』が好きだと思う。
公園で持ち寄り『ランチ』、お洒落なイタリアンレストランでパスタ『ランチ』、居酒屋のまかない『ランチ』、ホテルの『ランチ』バイキング…

私も誘われてよく“参加”した。
子供と同級生のお母さん方に誘われると断りきれなかった。
確かにどれも美味しかったし、参加した事を後悔した事はない。
ただ、色々と『面倒くさい』のである。

ホテルのバイキングなら、それなりにキチンとした格好で行かねばならない。持ち寄りなら、他の人とメニューが被らないように気を遣う。レストランでも居酒屋でも公園でも、集合時間が決まっており、遅れないように家事を片付けねばならない。
『ランチ』を食べる事に私は殆ど価値を感じていないのに、自分の時間が削られてしまうのが不満だった。
可愛げがないと自分でも思う。だが、正直な気持ちがそうなので、なんともしょうがない。

幼稚園や小学校の役員など、私が自ら望んで入ったのではないコミュニティでは、私にとって『ランチ』は役員仕事の一環であった。
特に幼稚園は、役員でなくとも"〇〇ちゃん派"の集まり、みたいなのがしょっちゅうあり、『ランチ』に参加しない事は暗に派閥からの離脱を意味していた。
ひたすら面倒くさくて、うんざりだった。
子供が卒園した時はホッとした。
心の底から参加したくて『ランチ』していたお母さんは本当にいたのだろうか。今でも疑問に思っている。

楽しかった『ランチ』の思い出もある。
気の合う同期入社の友人達と行く『ランチ』はいつも心から楽しかった。
何年か前に、高校生の時の友人達と久しぶりに集まって食べた『ランチ』も忘れられない。
引っ越し前に、同じ楽団で仲良くしてくれた人数人が、地元の野菜を使う美味しいイタリアンのお店で送別『ランチ』会をしてくれた時も、とても嬉しかった。
気の合う友人とアルコール有り!の格安寿司『ランチ』を楽しみながら、取り留めもない話に花を咲かせたのも懐かしい思い出である。

この前は、夫と地元の小さな中華料理店の『ランチ』に行った。
美味しいと評判で、お昼時はいつも長蛇の列。いつか行きたいと思っていたのだが、一人では入りにくかったので、夫を誘ったのである。
少し早めに行ったのですんなり入れて、『ランチ』をしっかり堪能出来た。盛り付けや味のお勉強?にもなった。
行って良かった。

どうやら私は自分の時間を削る価値を、『ランチ』そのものより、お昼を"一緒に過ごす人との時間"に感じているようである。

これからも色んな人と、楽しい『ランチ』が出来ると嬉しい。



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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。