いいご趣味

今の会社の採用面接を受けた時、履歴書の趣味の欄には
『楽器演奏』
とだけ書いた。
自分のプライベートを知らない人達に、プライベートをオープンにするのは昔から好きではない。空欄にしようか、適当に『読書』などとお茶を濁しておこうか、などというアイデアも頭をよぎったが、楽器さえ特定しなければ根掘り葉掘り訊かれることもなかろう、ピアノだってギターだって楽器だし、と考えたからである。

ピアノだったら知られても良くて、クラリネットだったら知られたくない、というこの心理状態。
我ながらおかしくなる。でも何故かそう思ってしまうのだ。
『クラリネットを吹くことは一般的でないこと』などという、ねじ曲がった特別感が心の奥底にあるのだろう。
『殊更に騒がれたくない』『話題にされたくない』という気持ちも、どうしようもなく湧き上がる。
反射的に心に高い壁を築いてしまう。『入ってくんな』と警戒レベルをMAXまで上げる。
その度に、『自分は何の闘いをしているんだろう？』と思う。

面接では案の定、
「何の楽器を演奏されるんですか？」
と訊かれたから
「クラリネットです」
とだけ答えた。
面接担当者は愛想笑いをして
「いいご趣味ですね」
とだけ言い、こちらも
「ありがとうございます」
とだけ返して、この会話はおしまいになった。
ほっと胸を撫でおろした。

こういう会話の際の『いいご趣味』という言い方には、いつも微かに抵抗を覚える。
放っておいてくれ、好きでやってるものにエエの悪いのとテメエが勝手に論評すんじゃねえ、と（腹の中で）口汚く罵りたくなる。我ながら、お下品な女である。
何を以て、何と"比較"して『いい』のだろう。いつも不思議でしょうがない。
そしてこんな気持ちの悪い言い回しが、常識的で美しいものとして常用されていることに、違和感を禁じ得ない。

『女子高生のスカートの中をこっそり撮るのが好きです』とか、『正体不明になるまで酒を飲むのが好きです』なんて言われれば、「いいご趣味ですね」とは言われまい。
前者は明らかな犯罪だし、後者は自滅的行為である。趣味と言うより、困った性癖だ。
こんな極端な例でなくとも、『人様の前で大きな声では言えない』という趣味を持っている人は大勢いるだろう。
それでも社会に迷惑をかけたり、他人の生命や心身を傷つけたりしない限り、別に何をしたって基本的には人は自由なのである。

『いいご趣味』と言われてモヤモヤする原因は、大きく分けて二つあると思う。
一つ目は他人に自分の趣味を良いとか悪いとか言った具合に、他人に"品定め"されることが不快なのだ、ということ。
将棋や囲碁は『いいご趣味』で、ゲームはそうでないのか。ウオーキングは『いいご趣味』で、散歩は年寄り臭いのか。
本人さえ楽しんでやってれば、それが『いいご趣味』なんじゃないのか。いや、別に『いい』という形容詞で褒めてもらうことは要らんのではないか。
軽くイラっとするのを抑えられない。

二つ目は、そのいい悪いの判断に、当の本人が全く関与していないことである。
本人は判断を下す必要性すら感じていない。つまり別に褒めてもらわなくてもいい。
なんの必要があって『いいご趣味』なんて褒めるのか。いや、そんな言葉で相手を称えた気になっているのか。
意味不明である。

自分はこういう言い方はしない。
趣味の話をされれば、
「へえー！面白そう」
とか、
「凄い！どんな時が楽しいですか？」
とか、そういう風に話を持っていく。
『酒を浴びるほど飲むのが趣味で』と言われれば、
「それ、マズいんじゃないですか」
とは言うだろう。少なくとも前向きな会話はしないだろうし、以後その話題は避けると思う。
けれど基本的に他人が何を楽しもうと勝手である。身体を壊すのも本人の自由なら、いい加減飽きて何か別の趣味を見つけるのも本人の自由。
誰だって、なんだって、公序良俗の範囲内なら好きにすれば良いではないか。

だから他人の趣味を品定めしたような、『いいご趣味』という言葉には虫唾が走る。
これを聞きたくないが為に、プライベート以外ではクラリネットのことは伏せていると言って良い。
クラリネットを吹くことと、仲間と音楽を奏でることは、私の大切なプライベートゾーンなのである。
通りすがりの関係ない人に、覗いてなんか欲しくない。
頑なな人間だと、自分で呆れている。