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同じ轍を踏む

今日は夫が在宅勤務で、私は出勤日である。こういう日の朝は猛烈に忙しい。
夫の出勤時間は午前七時である。時報とほぼ同時に家を出て行く。この後すぐに私は掃除に取り掛かる。だいたい一時間程度で終わるので、その後に皿を洗ったり、ゴミを出したりという家事を片付けて、八時半の出勤時間までに少し余裕がある状態が望ましい。
ところが在宅勤務だと、いつもの出勤時間に夫が起きてくる。洗濯はやや早めにするが、朝食もいつもより一時間くらい遅いスタートになる。片付けも、掃除も、全てが一時間近くズレるのに、私の出勤時間は判で押した如く変わらない。つまりいつもより短い時間で、いつもと同じ量の家事をこなさねばならない。労働密度が倍ぐらい上がってしまうのだ。忙しさの訳がお分かりいただけたかと思う。

そんな私に一向にかまう風もなく、夫はゆっくりと仕事を開始する。羨ましい、いや妬ましいくらいのんびりしている。ちゃんと仕事はしているようだが(失礼)、何かにつけて台所に降りてきては、お菓子の袋を仕事部屋に引っ張っていったり、何故か急に洗面所に行って、鏡を見ながら真剣に鼻毛を切り始めたりする。
夫がこれらの不可解な行動をしている間も、私は家事に追われている。こういうことをされると、いちいちとっても邪魔である。しかし一発喧嘩を吹っ掛けようものなら、気分は害するし、更に時間を食うことは分かり過ぎるほど分かっているので、夫が台所に来れば洗面所の掃除をし、洗面所に来れば皿を洗う、といった具合に、のそのそ徘徊する夫を『よけながら』家事をしている。

今日の夫は
「パキラに肥料をやらなあかん」
と突然思い立ったようで、玄関に置いてある液体肥料の場所を訊いてきたかと思えば、希釈の仕方を尋ねてくる。容器に書いてあるやろ、と短く答えて放置していると、
「五十倍でええんやな」
と独り言をいうのが聞こえてギョッとした。
この液体肥料は我が家の花壇に使っているものである。園芸店の方も
「多分かなり長い間ありますよ。しっかり薄めて下さいね」
と言って下さったくらいの代物だ。鉢植えの植物にも使えるとは書いてあるが、五十倍なんて濃すぎる。
構わないつもりだったけど、ついお節介の虫が騒いでしまった。
「あんた、それ五百倍やで」
私が思わず言うと、夫は
「嘘つけ。そんなん、肥料として意味ないやん」
と小ばかにする。容器見ろ。書いてあるやろ、老眼め。
「何言うてんの。あまり濃すぎる肥料やったら、木が枯れてしまうよ。あんた、いっぺんやってるでしょ」
そう言うと、夫はムッとした顔をして黙り込んでしまった。

以前夫は盆梅展に行った際、可憐な梅の鉢に一目ぼれし、無謀にも一鉢買って帰った。そして
「肥料をやらんと弱ってしまう」
と止めるのも聞かずバカスカ肥料をやって、案の定すぐに枯らしてしまった。
枯れると「なんや、枯れたんか」とつまらなそうにし、夫の関心はなくなった。可哀想な梅に謝りながら後始末をしたのは私である。
『いっぺんやってる』というのはこの時のことだ。

物理や化学といった方面には明るい夫だが、生物のこととなるとてんでダメである。
私は自他ともに認める百パーセント文系人間だが、田舎育ちのせいか、生物全般については夫よりはるかに常識を備えているという自信がある。植物の育て方についても、野生児出身の父に色々教わって育った。
私の見解によれば、パキラに肥料なんてほぼ不要だと思う(パキラごめん)。やっても良いけど、果たして今がその時期なのか、適量はどのくらいなのか、液肥が良いのか固形が良いのか、ちゃんと調べてからやった方が良い。
でも夫はそんなこと全くお構いなしである。自分がやりたいと思ったらやる、ただそれだけだ。まるで子供である。
言っても聞かないから、諦めるしかない。

パキラは梅と同じ運命を辿るかも知れないし、案外上手くいって逞しく育つかも知れない。
枯れれば可哀想で辛い。しかし『夫の』パキラであるから、『私』は関係ない。
枯れた時の後始末を密かにシュミレーションしつつ、嬉々として肥料をやる夫を横目で見ている。
同じ轍を踏むのも、大概にして欲しい。そして在宅とはいえ『勤務』なんだから、夫よ、パキラに構わずお仕事して下さい!