禁断の味
母方の祖母は大変食いしん坊な人だった。
料理をしながらつまみ食いは当たり前。時には齧りかけのおかずを供して、家族からブーイングを受けることもあったが、
「そやかて、作ってるとお腹空くえ」
と笑いながら言ってのける図太さの持ち主であると共に、
「お母ちゃんはホンマにどもならんなあ」
と笑って許されてしまう、愛嬌の持ち主でもあった。
私はこの祖母と、何故か二人きりで出かけることが多かった。
祖母宅に帰省する時は必ず妹と一緒だったのに、何故お出かけ時には私だけがお供をしたのか、理由はよく分からない。
祖母は面倒くさがりだったから、あまり自己主張をせず、大人しく自分の言うことを聞く私の方が、連れ歩くのに手こずらなくて、妹よりも都合が良かったのかも知れない。
多分小学校低学年くらいの、夏休みだったと思う。
その日も私は祖母に従って、近所の商店街に二人で買い物に出かけた。
知り合いに出会っては足を止めてお喋りに花を咲かせ、買う予定のない店を冷やかす。必要な買い物をしながら、必要のないものも買おうかどうか長考する・・・。
そんな具合にのんびりと、自分のペースで歩き続ける祖母に、私は黙って大人しく付き従い、『孫ですねん』と紹介されれば、照れ臭そうに頭を下げたりしていた。
やがて商店街の終わりの方にさしかかると、祖母が急に歩みを止めて私を振り返り、満面の笑みを湛えてこう言った。
「ああ、暑いし、疲れたなあ!かき氷食べへんか?」
胸が躍った。かき氷!
実はその時まで、私は家以外でかき氷を食べた経験がなかった。
幼い頃から胃腸が弱く、冷たいものや脂っこいものを食べると、まるでそうせねば済まないようにお腹を下したり、吐いてしまったりする子供だった為、そういうものを食べさせないように、母がいつも私を『監視』していたからである。
かき氷にかけるシロップも、
「あんな毒々しい色のもの、身体に悪いに決まっている。絶対に口にしたらアカン」
と言われ、近所の夜店ですら食べることは許されなかった。
いつも友達が赤くなったり黄色くなったりした舌を出して見せ合いっこしているのを、指を咥えて眺めていた。
つまり私にとって、外で食べるかき氷は『禁断の味』だったのである。
祖母は私の返事を待つことなど考えもしない様子で、更にスタスタと歩いていき、商店街の一番端っこにあるお店のドアを押した。
「ああ、涼しいわあ。氷もらお、氷頂戴」
祖母はそう言いながら、店内をキョロキョロ見回して適当な椅子に座ると、隣に買い物かごをどさりと置いて、オドオドしている私に座るよう促した。
そこが喫茶店だったのか、甘味処だったのか、私には全く記憶がない。覚えているのはドアが随分古い木製だったことと、『氷』と書いた小さな旗が上がっていたこと、店のウインドウに様々な色のかき氷のレプリカが飾ってあったのをワクワクしながら眺めたことくらいである。
「何味にしようかな?イチゴも美味しそうやなあ。ミツルは何味がエエんや?どれでも好きなん頼みや」
そう促されて、またドギマギしてしまった。
店主の字なのだろうか、手書きのメニューにはイチゴ、メロン、宇治金時、白蜜なんかがあったように思う。
白蜜は自家製のを散々食べていたし、ビジュアル的にそそられないから、全然食べたいと思わなかった。欲を言えばイチゴが食べたかったが、帰宅して母に怒られるかもしれない、と思うと、どうしても頼む気になれなかった。
私が宇治金時を選ぶと、祖母は私の内心の葛藤に全く気付いた様子もなく、ほなそうしい、と言って、オーダーを取りに来た店の人に
「この子は宇治金時。私はイチゴでな」
と注文すると、メニューをパタンと閉じた。
あれっ、おばあちゃんイチゴ食べるんや!
驚いたが、祖母は平気な様子で出されたお冷を美味しそうに飲んでいた。
しまった、私もイチゴにすれば良かった、と思ったが、今更お店の人に注文し直す気にはなれず、一息ついて満足そうな祖母をちょっと羨ましい気分で見ていた。
氷が来て食べていると、祖母の知り合いがたまたま店に入ってきた。祖母は食べるのを中断して、またお喋りに精を出し始めた。
グラスには赤い汁が溜まりつつあったが、祖母はそんなこと全く気にする様子もなく、お喋りに興じていた。私の居ることすら、すっかり忘れてしまっているよう見えた。
私は何も気にせずに、初めてのかき氷をゆっくりと味わうことが出来た。
思っていたよりずっと美味しくて、イチゴ味でなくても十分満足した。
今でも氷売り場で抹茶味のかき氷を見ると、祖母に連れられて初めて食べたあの味を思い出すことがある。
食べ続けるうち、キインと頭が痛くなったこと。掛かっていた練乳の甘さに感動したこと。食べても食べてもなくならないな、と感じたこと。祖母は結局、あまり食べなかったこと。
全部昨日のことのように鮮明に記憶にある。
私も祖母の食いしん坊遺伝子を、しっかり受け継いでいるようだ。