家の塗り替え
今、我が家は外壁の防水塗装工事の真っ最中である。家中雨戸がびっちりと閉められ、ほぼ隙間なくビニールの覆いが被せられている。
なので家の中に明かりが殆ど入らない。せいぜいトイレと風呂の窓くらいである。この二箇所には雨戸がないからだ。
この家の大家さんはかなりマメでキチンとした方のようで、塗り替えは二年に一度必ず行っているそうである。塗装前には高圧洗浄もして下さり、家の外観は随分明るくなった。
少し錆の浮いていた金属部分も綺麗に塗られて、まるで新品のようになった。有難いことである。自分の家だったらこういう一切を全て自腹で賄わねばならないのだから、賃貸住宅はメリットもあるね、と夫と話している。
工事開始はお正月明けすぐだった。事前に聞いてはいたものの、いざ窓と言う窓を覆われてしまうと、何とも言えない閉塞感がある。一日中昼だか夜だか分からないし、窓を開けての換気ができないのは掃除好きの私にとっては少々辛い。しょうがないので家中で自由に開けられるたった二つの窓を辛うじて開けて、換気扇を回してしのいでいる。
それでも窓から外の景色が一切見えないというのはやっぱりしんどい。夫など、この状態を『監獄生活』と呼んでいる。当たらずとも遠からず、と言った感じである。
それでも不自由な避難生活を送っている方々のことを思えばとんでもない贅沢だ。
塗装はやはりペンキなどを使うからか、窓を開けるとシンナー臭がするのも困る。窓を開けなくても、外で作業をしている真っ最中にうっかり換気扇を回そうものなら、このシンナー臭が換気扇から入ってくる。これでは換気している意味がない。だから出来るだけ作業中はコンロを使わないようにしている。
夫はコロナ罹患以来嗅覚が殆どきかないので、
「そうか?そんなに匂うかなあ?」
と呑気なものだが、私にとっては頭が痛くなりそうな不快な匂いである。
覆いは玄関にもしっかり掛けてある。我が家の玄関ドアには鍵穴が二つあるのだが、二つともご丁寧にビニールで覆って、鍵を差し込めるように十字に切ってテーピングしてある。
切ってあるとはいっても塗装除けの為のカバーだから、鍵を差し込むためには『ええっと鍵穴は・・・』と探しながらビニールの切り込みを覗き込むことになる。夜は玄関灯はあるものの周囲は暗いし、こちらは老眼ときているので一苦労である。
夫は帰宅が暗い時間帯なので、
「ああもう、スッと鍵穴に入らへん」
と帰るなりこちらがお小言を食らう。
「まあ、あとひと月ほどの辛抱やから」
となだめつつも、気持ちは分かるなあと思っている。
覆いをかけている状態には思わぬメリットがある。
先ず、家の中の温度が下がらない。
窓を全開に出来ないこともあるのだろうが、いつもは寒い夫の部屋も、心なしか室温がやや高めに感じる。換気扇はバンバン回しているし、この家はあちこちに空気取り込み口を作ってあるので外の空気は入るのだが、それにしても温かい。丁度ビニールハウスに入っているような感覚なのだろうかと思う。
次に、雨戸のない窓を全開にしても外から中が見えない。
いつもはトイレの窓なども気を付けて開け放さないようにしているし、常に外からの目線を気にしながら開けるようにしているのだが、こうすっぽりと覆われてしまうと全くその必要がない。
見られない=見られることを気にしなくて良い、ということになり、解放感がある。つい平気でどこででも着替えなどしてしまう。夫はそういう私を見ると、
「おい、やめろ。癖になってしまうぞ」
などと眉を顰めて注意するが、私は元々こういうことに無頓着な性質なので
「今だけ、今だけ」
と言って堂々と脱ぎ着している。
夫が正解なんだろうけど、外から見られる心配がないのは気が楽なのでついついやってしまっている。
明かりが家の中に入らないのは気分的にも鬱陶しい。しかしメリットもあるにはある。なにより防水をバッチリしてもらえるのは嬉しい。
前の住まいは大家さんがこういうメンテナンスを全くと言って良いほどしてくれず、雨漏りもちょくちょくあった。それに比べたら雲泥の差である。
鬱陶しさは横に置いといて、綺麗になる日を楽しみに、夫の愚痴を聞きながらあったかい家でのんびりすることにしよう。