観客を味方につける
フィギュアスケートの季節になった。私は女子の坂本花織さんのファンで、いつも陰ながら応援している。
彼女の屈託のない笑顔には、いつも勇気と力を貰える気がする。
先のカナダ大会では緊張のあまり、本人の納得のいくような成績が残せなかったそうだが、今回のNHK杯では演技終了後、弾けんばかりの笑顔を見せてくれて、見ている方も幸せな気持ちにさせてもらった。
カナダ大会は見ていなかったので知らないが、結果に大いに影響していた要因の一つは、『観客を味方につけられるかどうか』だったと思う。
今回、男子の三浦選手はリンクに出た瞬間から表情が硬く、見ているこちらにも漲る緊張が伝わってきた。ジャンプのミスを連発し、演技終了後はなかなか顔を上げられず、悔しそうに俯いたままだったのが、痛々しかった。
対して男子の鍵山選手と女子の坂本選手は、観客を完全に自分の味方につけていた。当然緊張もあったのだろうが、それすらも楽しむというか、観客の醸し出す期待感と高揚感に上手く乗っている、という感じを受けた。
こうなると強い。この舞台の主役は自分、と自然に思えるから、自動的に冷静になれるだろう。
それまでやってきた練習は、きっと足元から沸き上がる自信となって、彼らをしっかりと支えていたに違いない。
舞台でソロなどを演奏する場合、同じことが言えると思う。
観客席を見て、『わあ、お客さんいっぱいや!』と一気に悪い緊張に襲われれば、観客からの期待は自分への圧になる。圧は身体を強張らせ、思うようにコントロール出来ず、思わぬミスを犯すことに繋がる。結果、悔いを残すことになってしまう。
『今日はお客さんと一緒に楽しむぞ!』という感じになれれば、同じ観客の期待感が、今度は自分を鼓舞させる追い風になる。ドーパミンが出る、というやつだ。そして努力してきた結果を満足のいく形で残せる。
観客を味方につけるのは、プロとしての技量の一つであると思う。
師匠のK先生などは、味方につける、というよりも『のんでかかる』ような感じを受けた。
表現の仕方は適切ではないかも知れないが、『待ってろよ、良いものを聴かせて楽しませてやるぜ』みたいなオーラが漂っている。一見、完全に観客より上の立場に立っている。でもぞんざいで上から目線なのでは決してない。深い感謝の気持ちを、片時も忘れてはいない。
そしてこれ以上ないくらいの緊張感を持っているにもかかわらず、それを自分の脇に置いて、冷静に眺めているような気すらする。存在は忘れていないけれども、自分とは切り離して考えている。緊張感を自分の内側に取り込んでしまわない。
結果、『緊張のあまり固くなる』ことはなく、観客を自分の演奏のプラス要因、エネルギー源にしてしまう。『時空を一緒に楽しむ仲間』にしてしまう、とでも言えば良いだろうか。
先生の舞台を聴きに行く度に、これをひしひしと感じた。技術だけではないプロの凄さを感じたものだった。
素人はなかなかこうはなれない。
だから『あれだけ練習したんだから大丈夫だ』などと、自己暗示をかけることに躍起になる。でも『あれだけ』の内容に納得がいっていなければ、積み残した一抹の不安が、舞台直前で突然弾ける時だってある。
結果、『ああ、やっぱり練習不足だったか』としょげかえることになってしまう。
実際に行った練習量は決して少ないとは言えないのに、勝手な不安を作り出して自らを縛ってしまう。
私も数えきれないくらい、こういった失敗を繰り返してきた。
観客の割れんばかりの拍手を受けて、リンクで満面の笑みを見せる坂本選手を見ていると、彼女のプロとしての凄さと、この舞台に立つまでの葛藤を思う。
その姿に嘗て見た、舞台上のK先生がダブる。
そして自分の小ささを思って、気が遠くなる。
メンタル、体力、技術、練習量、どれが欠けても、大舞台で観客を味方につけ、自分の追い風にすることは出来ないのだと思う。
そこに達するあらゆる困難を克服する、ひたむきで一途な努力を思う時、私はリンクの上の彼女の笑顔に益々魅了されるのである。