忘れられないC(ツェー)
私がある楽団で、バスクラリネットを吹いていた時の話である。
その時の定期演奏会でやる演目に『ニュー・シネマ・パラダイス』(エンニオ・モリコーネ作曲)があった。映画音楽の代表と言っても良いくらいの名曲で、私も大好きな曲の一つである。
本来はヴァイオリンで演奏されているメロディーが、吹奏楽編曲版ではアルトサックスのソロで演奏されている。吹奏楽版にしてしまうと雰囲気ぶち壊しみたいな曲も多いが、この編曲は素晴らしいと個人的には思う。
この曲の初めの方に、バスクラリネットが静かにロングトーンでC音(ピアノで言うとシの♭)を鳴らしている箇所がある。大した役割でもないし、簡単だし、と当時の私はなめてかかっていた。音楽たるものの色々をわかっていないド素人故の不敵さで、鳴ってりゃええんでしょ、とごく適当に吹いていた。
合奏練習をしていたある日、指揮をしていたY先生が急に合奏を止めて、
「〇小節目からのバスクラリネットのCなんですけど」
とやおら私の方に向き直ったので、急に背筋がしゃんと伸びた。
「はい」
「その音、大変重要なんです。丁寧に吹いて下さい。よろしくお願いします」
先生のお言葉に少なからず驚きつつ、ぞんざいにただ『音を鳴らしていた』自分の無知を恥ずかしく思った。
実は私がぞんざいに吹いていたのには、理由があった。
当時、クラリネットパートには非常に険悪な空気が流れていた。理由は一人の楽団員だったのだが、彼は私を毛嫌いし、事ある毎にわざわざケンカを吹っ掛けに来た。多分私のものの言い方や、態度が癇に障ったのだろう。私は何とも思っていなかったが、彼にとって『嫌いな人種』だったのだと思う。嫌われれば私だって良い気はしなかったから、二人の間は次第に嫌な空気になった。
パート内でもめ事が起これば、パートの皆に嫌な思いをさせる。パートが嫌な空気になれば、楽団がギクシャクする。蟻の一穴から全体は崩れていくものだ。
それまで何度もそんな事態を目の当たりにしてきた私にとって、それだけはゴメンだった。
そんなつまらない後ろ向きな理由で、私は自ら希望して、逃げるようにバスクラリネットにコンバートしたのである。
だから好きで吹いていたわけではなかった。しょうがなく吹いていた。
オーケストラでのバスクラリネットは地味でも一応ソロ楽器であるから、その存在感はある。が、吹奏楽に於けるバスクラリネットの存在感は薄い。音楽のプロである先生方は皆、大変重要な役割と認識しておられると感じるが、素人である愛好者の中ではその位置付けや注目度は低い。目立たない楽器である。
楽器をやろうなんてナルシストな人間にとって、バスクラリネットはあまり歓迎されない存在だと当時の私は感じていた。
先生にはそんな込み入った事情は話していない。だが私の演奏の中に、どこか投げやりでいい加減な雰囲気を感じ取られたのだと思う。
音楽とは全く無関係な個人のわだかまりを音に乗せてしまったことに、恥ずかしさと後悔の念が起こった。
それからは気持ちを入れ替え、丁寧に吹くことを心がけた。上手くブレンド出来ると、Y先生は顔を正面に向けたまま、満足そうに一度頷かれた。
こういう感じで練習の時は上手く吹けていたのだが、なんと肝心の本番で大きなミスをしてしまった。知らないうちにリードがマウスピースからずれて、息を入れても音がならなかったのである。本番前のちょっとした確認をしていれば防げた、ケアレスミスだった。
あの時受けた先生の失望の眼差しは、今でも忘れることは出来ない。未だに申し訳なさでいっぱいである。
私の数ある『やらかした』歴史の中でも、かなり上位にランクインされる出来事である。
なのでこの曲は大好きだが、聴く度にあの時の先生の視線を思い出してちょっと首をすくめたくなってしまう、そんな曲でもある。