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三連符、この悩ましきもの

今回ウチの楽団が選んだ課題曲のクラリネットの譜面には、これでもかというくらい三連符が出てくる。
三連符というのは一つの拍の長さを等しく三等分する演奏方法のことだ。
四分音符一つは八分音符二つ分の長さであり、十六分音符四つ分の長さでもある。
八分音符一つ分の長さは当然、四分音符一つ分の丁度半分の長さになる。十六分音符だと更にその半分だという理屈は、音楽とは関係ない、算数の問題である。
三連符はこの例外的存在と言って良いと思う。

『八』も『十六』も『偶数』、つまりキチンと割り切れる数字である。だから八分音符でも十六分音符でも、一つの音符の長さが体感として分かるというのは自然なことだ。
しかし『三』は奇数である。四分音符一つの音の長さを仮に『1』とすると、八分音符一つの長さは『0.5』であり、十六分音符一つの長さは『0.25』であるが、三連符の一つの音の長さは『1÷3=0.333333・・・』となってしまう。つまり割り切れないので、はっきりとした長さは極めて曖昧なものになる。
この『割り切れない』長さを『均等に』『揃える』ということに、私なぞは反射的に、強烈な違和感と気持ち悪さを覚えてしまう。
どうせえっちゅうねん、といつも思う。
早い話が、苦手なのである。

それでも普通の三連符ならまだいい。
もっと厄介なのが『二拍三連』という奴だ。
これは読んで字の如く、『二拍の長さを三等分して演奏する』やり方のことだ。
三拍を三等分すれば一拍の長さは『1』であるが、二拍を三等分すれば『2÷3=0.66666・・・』となってしまい、これまた割り切れない。
しかも演奏する人間としては、感覚的に『二拍→偶数拍→平易な拍取り』というのがこびりついている(但し素人でもリズム音痴な人限定。私も勿論その一人)。
つまり普通なら平易な二拍を、妙に割り切れない数字を用いてわざわざ三分割する必要性を脳が感じていないから、譜面を目にした瞬間、一瞬『えっ?二拍なのに三連符?』と混乱する。
そしてややこしいことに、この場合も三分割した内の一つの音符の長さは『1』に満たない、曖昧な長さである。測るのではなく、感覚で捉えるしかない。この感覚の十分に育っていない人間としては非常に困るし、目にすると緊張する。
音楽教育をキチンと受けた方なら
「三連符ごときで何をガタガタ文句を言ってるのか」
と呆れそうな話だが。

今回の曲は幸いなことに二拍三連は出てこないが、♩=120の速さ指定である為、結構素早く三連符を演奏しなければならない。
♩=120と言えばマーチのテンポである。秒針の刻みが♩=60であるから、その倍の速さと言えば大体ご想像頂けるかと思う。その一つの拍を三で均等割りするのである。
一拍が速くなると、三連符は『装飾音』という”三連符のかなり遠い親戚”みたいな奴との区別がつけ辛くなるので、注意が必要だ。
この遠い親戚はあくまでも『装飾』であって、『拍数』にカウントしない。ここが三連符との大きな違いである。
キチンと一拍に三つの音を収めるか、単なる飾りとして拍にはカウントせずに吹くか。
ちょっと聴いただけでは、この速さだとどちらか判別し辛い。しかしこの吹き分けが出来ていないと、コンクールでの課題曲の評価は、大きく減点されることになるだろう。『こやつら、分かってねえ』と審査員によって判断される訳だ。
気が抜けない。

子供の頃、スキップの出来ない同級生が何人かいて、からかったり笑ったりしたものだった。特にヤンチャな男子に多かった。
私はスキップが得意中の得意だったから、日頃の復讐とばかりに彼らをせせら笑っていた。ザマアミロ、と思っていた。
しかし今、三連符を前にすると、あの時のヤンチャどもの気持ちが非常によくわかる。二拍三連なんかだと、もっと尻込みしてしまう。あんなに笑うんじゃなかったなあ、と申し訳なさが募るくらいだ。
私は音楽が大好きだが、三連符を演奏するのは苦手である。体育万能な彼らだって苦手なことはあったんだ、と今更ながら思う。

という訳で、日々三連符の練習に余念がない今日この頃である。
この曲のお陰でちょっとは苦手意識が減ると良いんだけど。
コンクールには間に合わせたいなあ、いや間に合わせないとマズイ。