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禁断の味

おつまみというのは、酒を出来るだけ多く飲ませようとするために用意される食べ物である。
野菜スティックなどもあるが、かなり多めの塩分と豊富な脂を材料にして作られたものが多い。
およそ身体には良くない食べ物であるが、子供の頃はこれが食べたくて食べたくて仕方がなかった。
身体に悪いと明らかに分かっている食べ物を、ほんの少しずつ『つまみ』ながら酒を片手に大きな声で談笑する・・・そんな光景を見ながら、大人って良いなあ、自由だなあ、早く大人になりたいなあ、と思っていた。

父の部下や同僚等が来て、自宅で忘新年会をするようなこともあった。そんな時は小さな女給さんになって、妹と一緒に料理やおつまみを運び、時にはお客さんと短いお喋りにをすることもあった。
いつも十人前後の男の人がやってきたから、台所はその度にちょっとした戦場と化した。
六畳ほどの和室を二つぶち抜いて、大きめのテーブルを三つほど繋げた卓には、ところ狭しと皿が並べられた。

酒が進んでくると、大人の監視の目が緩くなるのを幸いに、皿からちょくちょくおつまみを失敬した。
酔っぱらい達はある程度腹がふくれてくると、どんな美味しい物を出しても見向きもしなくなる。そして、子供に向かって食べろと勧める。身体に良いとか悪いとか、おかまいなしだ。
めでたく大人のお墨付きをもらったのだから、別にこそこそ食べる必要もない。
しかし酔っぱらっているとはいえ、普段は厳格な父の目の前である。
普段なら絶対に食べさせてもらえない物を、堂々と食べる気にはとてもなれなかった。
父も含めて大人たちは誰も気に留めていなかったが、悪いことをするような気分で恐る恐る口に運んでいた。

特に好きだったのは、レーズンバターである。
パンに塗るときですら、
「コテコテ塗ったらあかんで!身体に悪いんやから!」
と塗りすぎを窘められるバターを、そのままパクパク食べるなんて、到底考えられなかった。
酔っぱらい達が長時間放置して、溶けかけた氷の上で少し緩くなったバターは、微かに煙草の煙の匂いがしたが、妹と争うようにして食べたものだった。
今は買うことはないが、売り場で見かけると懐かしい気持ちになる。

サラミも好きだった。どうしてあんなにケチ臭い超薄切りなのか、厚く切った方が絶対美味しいのに、とずっと思っていた。
薄切りするのが本来のスタイルだ、と知ったのは随分大きくなってからである。
ミニカルパスなんて駄菓子があるくらいだから、他の子供も実は好きなのではないか、と思う。

既製品のおつまみが底をついてくると、母はそこらにあるものでおつまみを自作した。
この中に、私達姉妹の大好物があった。味付け海苔の上に擦り下ろした長芋を乗せて、油で揚げたものである。
海苔の香りと長芋のねっとりした感じが良くマッチして、とても美味しかった。
酔っ払い達にも大好評で、出したらすぐに手が伸びてくる。
冷めた時よりアツアツが美味しいのは知っていたから、こればかりは運んでいきながらちょいと、口に入れていた。モグモグしながら皿を出すのは、例え酔っ払いの前と言えどもみっともないと思ったから、部屋に入る前にぐっと飲み下してから、何事もなかったかのように平気な顔をして並べていた。
毎度、口を火傷しそうになっていた。

今は豊富な種類の冷凍食品も、総菜もある。お金さえ出せば、あらゆるデリバリーも可能だ。
あの頃今のようなシステムがあったら、我が家の台所は戦場にならずに済んでいただろう。母も一緒に、ゆっくり料理をつまみながらちょっと休憩出来ていたと思う。

大人になったら、おつまみはそんなに食べたいものではなくなってしまった。
禁止されていたから、いつかなる大人の世界の味だから、たまにしか食べられないから。あんなに美味しく、無性に食べたいと感じた理由はその辺にあるのだろう。
沢山のおつまみが並べられたスーパーの食品売り場を巡りながら、子供時代を懐かしんでいる。
師走もあと二週間足らずだ。





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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。