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小顔は得か

十代の頃、歌手の玉置浩二さんを生でお見掛けして、その顔の小ささに衝撃を受けたことがある。テレビで拝見する限り、そんなに特別小さな顔だと思ったことはなかったから、芸能人というのは皆こんな感じなのだろうか、と驚いたものだった。
妹は着物のイベント会場で案内係のアルバイトをした時、女優の黒木瞳さんを見かけて、
「顔どんなちっさいねん!びっくりしたわ!」
と言っていたし、クラリネットの師匠は『一万人の第九』に参加した時、同じく女優の仲間由紀恵さんを見かけたそうなのだが、
「いやあ、自分と同じ生き物かと思うくらい、小さい顔でした」
と感心しておられた。
例外もいらっしゃるんだろうけど、概して芸能人は顔が小さいものらしい。

顔が小さい、というのは美人の条件の一つなんだろうとは思う。
小顔整形、なんて施術も存在するみたいだから、そう思う人は沢山いるということだろう。
確かに顔が大きくても、パーツの一つ一つが美しければやっぱりそれは美人なんだろうけど、小さな顔の美人には劣る気がする。
私がこんな風に小さな顔に憧れと好感を持つのは、単純にそういう価値観を刷り込まれて育ったから、なんだと思う。
父はあまりこういうことに関心がなさそうだから、主に母の影響だろう。

母方の祖母は結構辛辣な物言いをする人で、大きな顔の人を見かけると
「『どらまゆ』みたいな顔してからに」
と言ってバカにした。
『どらまゆ』というのは、蚕の繭のことを指す。幼虫が糸を吐きすぎたために、繭が普通より大きくなり過ぎたものをこういうらしい。
祖母が育った田舎の家庭では、当たり前のように蚕が飼われていた時代の話である。『どらまゆ』は使い物にならない『不良品』だった訳で、大き過ぎる=不細工でみっともないもの、というニュアンスが滲み出た上手い言い回しだと思う。
孫の教育上、あんまりいい影響はなかっただろうとは思うが。

顔が小さいのは、どんなメリットがあるのだろう。
何でもそうだけれど、物を積み上げる時は上に行くほど小さくなった方が、バランスが良い。逆だとなんだかこけてしまいそうで不安である。
首という頼りないものの上に乗っている顔は、小さい方が見ていて安心感がある。
そして顔が小さい方が、どんな服装でも垢ぬけるように思う。モデルの顔が小さいのは、その必要があるからだ。
顔は表情が出る場所だから、あんまり大きいと威圧感があるかも知れない、とも思う。
小さな顔で怒りを表現されるのも怖いが、大きな顔だとより一層怖さが増すような気がする。

しかし、小さな顔だと良くないな、と思ったこともある。
北陸に住んでいた時、地元の時代まつり行列を見に行った。
この祭りには必ず有名な芸能人が招待されることになっており、武将に扮して馬に跨ってねり歩いた後、最後は『エイ、エイ、オーウ』と声を上げることになっていた。
私が初めて見た時の武将役は、松平健さんだった。
失礼な話だが、松平さんはそんなに小さな顔ではない。でも鎧兜がバッチリと身に合っていて、物凄い威厳と存在感があり、流石時代劇の役者さんだなあ、と感心した。
乗っている馬もなんだか誇らしげに見えたくらいだった。

翌年も同じ祭を見に行った。
今度は、とある若手俳優さんが同じ武将役を演じておられた。この俳優さんは松平さんよりもずっと顔が小さかったのだが、なんだか鎧にのまれているというか、松平さんの時に感じたような不思議なオーラは全く感じられず、ちょっと気の毒になってしまったほどだった。
全身これ武将、と言った感じの松平さんとはあまりにも対照的だったので、今でも鮮明に記憶に残っている。

顔が小さいというのは、一般的にはメリットではあるんだろう。
だけど、小さすぎる顔の武将は頼りない。
世界中どこでも小さな顔がもてはやされるか、というとそうでもない、とも聞いたことがある。
なんでも、顔が小さい=頭が小さい=脳味噌があまり詰まっていない=賢くない、ということになり、『顔が小さいですね』と言うのは『あなたは賢くないんですね』と言われることと同義で、大変失礼になるらしい。
分からないものだ。
世の中、色んな価値観がある。絶対に美しいもの、なんて存在しないんだ、ということをあらためて思い知らされる。
それでもやっぱり、小さい顔に憧れるのは、歳は食っても私もまだまだ女なんだ、ということなんだろう。
・・・なんて考えつつ鏡を見ながら、両手で頬を包んでみている。