見出し画像

ある手作りチョコの思い出

営業をしていた頃、とても親しくさせて頂いていたお客様が居た。
70代後半の女性で、Xさんという。私はいつも『おばあちゃん』と呼ばせてもらっていた.。
小さな貸アパートに30歳くらいの娘、K子さんと二人暮らし。働いてはおらず、ご自身の年金と娘さんの収入で生計を立てておられた。K子さんには軽い知的障がいがあり、収入といっても夕方の新聞配達と授産施設の給料くらいだから多くはなかったが、家はいつもきちんと片付いており、小ぎれいだった。つましい、という言葉を絵に描いたような暮らしぶりであった。
親子は仲良く、いつも幸せそうだった。

信仰していた宗教上の理由で、Xさんは子だくさんだった。K子さん以外は全員独立してそれぞれ家庭を持っていた。
K子さんは八人兄弟の末っ子であった。
「気持ち良いことだけして、子供を作らないのはいけないことだに」
Xさんが真面目くさった顔つきで言った時、私は失礼だとは思いつつ、爆笑してしまった。が、それを咎める風もなく、そんなにおかしいかに、と出身地の方言で言いながら、
「あんたはホントにおかしそうに笑うに」
とニコニコしておられた。

私はK子さんと同い年であった。
それが理由なのか、私がXさんと話し込むとK子さんはいつも不機嫌になった。
「自分は5歳くらいの知能だから、あんたに妬いとるんだに」
Xさんはそういって笑った。
なんだか悪いことをしてしまったようで、それ以来K子さんがいる時にはなるべく早く用事を切り上げて帰るようにしていた。

そんなある日、いつものように訪問して玄関先でXさんとしゃべっていると、K子さんが奥の部屋の引き戸をガラッと開けてやってきて、
「おばあちゃんじゃない!」
と私を睨んで一言言って、またピシャリと戸を閉めてしまった。
ぽかんとしている私を見て笑いながら、Xさんがこう言った。
「あの子は最近、『お母さん、絶対死んだらあかんよ。私より先死んだら怒るよ。絶対やで。約束やで』って言うんだに。年いって出来た子だから、私が年寄りなのがどうも不安らしい。『そりゃK子より先に死ぬよ』って言ったら怒るんだに」
私は奥に入ってしまったK子さんに、本当に申し訳なく思った。

それからしばらくして、Xさんから店にいる私に電話がかかってきた。
「K子がなんか在間さんに渡したいものがあるらしいんやって。忙しいのに悪いけど、何時でもいいから寄っていって」
K子さんとは『おばあちゃん』の一件以来、顔を合わせていなかった。
一体どういう事だろう。その日の夕方、一番最後にXさん宅に寄った。

「忙しいのに、ごめんねえ」
Xさんはそう言って、
「K子、在間さん来てくれたよ。はよ持っておいで」
と奥の部屋に向かって呼びかけた。しかしK子さんは出て来ない。
「照れてるんだに。この前あんたに強く言っちまったから」
Xさんは笑いながらそう言うと、奥でK子さんと二言三言何か喋った後、小さな箱を手に帰ってきた。
「これ、今日K子が授産所で作ったんだに。私にもくれたんだけど、もう一つあるから『誰にあげんだに?』って聞いたら、あんたにって言うから来てもらったんだに」
箱を受け取って開けると、青い星模様のアルミ箔に包まれたチョコレートが出てきた。コーンフレークが入っている。
K子さんを傷つけたのは私なのに、悪かったと思っていてくれたのか。

「K子さん、ありがとう。いただきます」
奥に向かってそう言って、Xさんが出してくれたコーヒーと一緒に頂いた。
ちょっとこみ上げるものがあって、なんだか喉につまりそうだった。
K子さんは結局、最後まで出て来なかった。
「照れ屋で、どうしようもないに」
とXさんは笑っていた。
帰店時間が迫っていた為、しょうがなく
「K子さん、ご馳走様でした。美味しかったです。ありがとうございました」
と大きな声で言って、Xさん宅を辞した。
自転車を漕いで店に帰りながら、私は何とも言えない気持ちになっていた。

その後もK子さんと直接話すことは一度もなかった。
Xさんはずっとお元気だったが、年齢が高くなりすぎる前にと、近くの三男の所にK子さんと一緒に身を寄せることになさった。
もうとっくに鬼籍に入られていると思うが、Xさんのことを思う時、必ずK子さんが作ってくれたあのチョコレートのことを思い出す。

いつか叶うならK子さんにお目にかかって、Xさんの思い出話をしてみたい。