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ああ、良い匂い!

私の通勤経路には、一軒のファーストフード店と、中華料理店がある。どちらも排気口がもろに歩道の方を向いているので、行き帰りには鼻先に色んな匂いが漂ってくる。
気温があまりにも高い日や、頭痛がする時などは胸苦しくなってしまうが、普段はそんなに嫌だとは感じない。特に仕事から帰宅する途中などは、元気な腹の虫が匂いにつられて暴れ出し、恥ずかしい思いに一人赤面したりすることもある。

ウチの母はこういう匂いが大変嫌いだった。ラーメン屋の横を通ったりすると、
「ああ、嫌やわ。安物の脂の匂い。胸が悪くなるわ」
と散々悪態をついては、眉を顰めていた。
間違っても『良い匂い』などと言ったことは一度もなかったから、いつの間にか私もそういう匂いを嗅いだ時は母と同じような反応をするのが正しいのだ、という風に思い込んでいた。そして同じように悪態をついていた。
しかしずっと心のどこかで、この匂いを『美味しそう』と思っている自分がいた。その思いはどんなに打ち消そうとしても消えなかった。
私は母に軽蔑されるのを恐れて、この思いに長い間蓋をしていた。
そんな私の心境に変化が起こったのは、ほんの数年前のことである。

ある時我が家の向かいに、大変ハイソなご家族が引っ越してきた。なんでも家を建てている最中なのだが、お仕事の都合で入居までのほんの少しの間、ここに住むことになった、ということだった。
お父さんと、専業主婦のお母さん。そしてカワイイ幼稚園児の男の子が一人いた。お父さんは地元の大きな病院に勤務する内科医。お子さんの幼稚園は勿論私立で、上の小学校にそのまま進学する、ということだった。

肩書はハイソでもこちらとの距離感が近い人はいくらでもいるが、このご夫婦はそうではなかった。なるべくこちらに声をかけないで下さい、とでも言いたげで、エレベーターで一緒になったりすると挨拶はされるが、後は顔を背けて押し黙ってしまわれるのである。
気まずい沈黙が支配した状態のまま部屋の前に到着すると、では、とお互いにちょっと頭を下げてお別れするのが定番になっていた。
比較的距離の近すぎる近所づきあいが多かった為、ちょっと感覚がいつもと違って面食らった。

ある日の夕方、私は塾から帰って来た息子を出迎えに、玄関を開けてホールでエレベーターが到着するのを待っていた。
間もなく息子がお向かいの母子と一緒に降りてきた。私は息子と一緒に頭を下げて、家に入ろうとした。
するとその時、お向かいの息子さんが急に立ち止まり、鼻からすうっと息を大きく吸い込んで、
「ああ、良い匂い!」
と目を瞑って、感に堪えない様子で言った。
お向かいの奥さんはフフフ、と上品に笑って
「ああ、玄関にポプリを置いたからね。その匂いかな?」
と息子さんの顔を愛おしそうにのぞき込んだ。
すると息子さんは強くかぶりを振って、
「違う!おかずの匂い!お醤油とかあ、揚げ物の匂いもするよ!ああ、美味しそう!食べたいなあ!」
とまた嬉しそうに鼻をひくつかせた。

その日の我が家の夕飯はカツ丼だった。
私が息子を出迎える為に玄関ドアを開けた時に、台所からその匂いが漏れたようだった。
奥さんは慌てた様子で、
「何言ってるの、恥ずかしい。さ、入るよ」
とまだ目を瞑ってクンクンしている息子さんの腕を引っ張って、そそくさと家に入ってしまった。
私は息子と顔を見合わせて、クスリと笑った。
なんて素直な、純粋なお子さんなんだろう、ととても好もしく思ったし、普段すましかえっているお母さんの慌てぶりも、ちょっと面白かった。

一家はひと月ほどで引っ越していったが、この小さな微笑ましい出来事は、今でも私の記憶に強く残っている。
誰に臆することなく、自分の感じたままに『良い匂い!』と言ったあの子の可愛らしい満足そうな表情は、今でも忘れられない。
特に意識している訳ではないが、私が排気口からの匂いを嗅いで眉を顰めなくなったのは、どうもこの時以来のような気がしている。
今でも大きくなった坊やがカツ丼をかき込む様子を思い浮かべては、時折思い出し笑いすることがある。
自分に正直なのは、傍目にも気持ち良いものだ。






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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。