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びびり

子供の頃、体育の授業で「とび箱しましょう」と言われるとものすごく憂鬱だった。怖いのである。なんの意味があってこんな箱を跳ばねばならないのか、とこんな種目がある事を恨んだものだ。積み上がった段の数字が殊更大きく見える。とび箱の一番上の白い部分が異様な長さに見える。とび箱を超えた向こうの世界?にすんなり着地した覚えがほぼない。まだ台上前転の方がマシだった。

徒競走は大得意だったし、陸上競技は概ね好きだったので、身体は硬いが運動音痴というわけではないような気がする。ただの「びびり」であると思う。迫りくる壁が怖いのだ。崩れてきそうな気がしてしまう。多分、今でも跳べない。

同じ理由で鉄棒も苦手だった。落ちそうな気がする。登り棒は得意だったので、腕の力が弱い訳ではないと思う。こちらは母の猛特訓?により、前回りと逆上がりは出来るようになった。が、片足かけや連続前回りは出来なかった。やはり怖いのだ。ここでも「びびり」が顔を出す。

当時は物凄いコンプレックスだった。両親は機械体操で学校で選手に選ばれるほどの腕前だったし、妹に至ってはとび箱大好きで、「女子のとび箱は低くて面白くない」と男子の方に行って跳んでいた。家族で私一人が出来ない。とび箱の話になると、奇妙な疎外感にさらされた。

私の「びびり」には何か理由があったのだと今は思う。小さい時に「危ないよ!」と沢山言われ続けたのかもしれない。ちょっと冒険してみたらエライ目にあった事があるのかもしれない。私を用心深くさせる何かがあったのだろう。「びびる」事は私の身を守る為に必要だったのだろう。だから疎外感なんて感じなくてよかったのだ。怪我しないように、痛い目に会わないように必死だった小さな私を、今思い出して大切にしている。

とび箱跳べなくたって人生は乗り越えていけるよ、と当時の私に言ってあげたい。