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自分次第

感情にただ振り回されていた頃は自分を客観的に見ることなど到底できず、いつも何かしら自分を大きく見せようという気持ちや、その裏返しの自虐的な気持ちに、私は完全に押しつぶされていた。
困った事が起きれば『ああ、やっぱり私にはこんなことが起こってしまった。私にはこういう悪いことが起きるように出来ているのだ』と打ちひしがれ、嬉しいことがあると『これはきっとまぐれだ。この反動できっとこの先私には良くないことが起こるに違いない』とまだ来ない恐怖の瞬間を恐れて、小さくなって震えていた。こうやって恐れていれば、やがて来るかもしれないその瞬間が自分を回避してくれるように思い、お守りのようにその考えに縋りついていた。
何をするにも感じるにも自分に自信が持てず、事が起きるのをなんとか無事にやり過ごせないだろうか、とそればかり考えていた。

『楽しい』ことをするにはした。だがその『楽しい』のベクトルの出発点は常に他者の目で、純粋に私から発信するものではなかった。つまり、私が『楽しんでいる』と『周りが』思う事、それが私の『楽しい』の必須条件であって、必ずしも私自身が百パーセント楽しむことは必要なかった訳である。
だから、私の心の底からの『楽しい』はそこにはほぼ、なかったと言っても良い。なんかアイツ楽しそう、そう思われることこそが私の狙いだったような気がする。
自分発でないそんな『楽しい』が私を疲れさせ、苛立たせ、孤独にしていた。

私は更に、自分が『楽しい』状況であることを他者によって確認しようとした。私の虚しい馬鹿笑いやはしゃぎ様に、同じように笑ってもらったり、『何やってんの!』と肩をすくめてしょうがない奴、と苦笑いしてもらうことを望んでいた。それこそが当時の私の『楽しんでいる』状態だと、信じて疑わなかった。
その頃の私は、一番大切な『自分』と『家族』を見ていなかった。きっと私の中の『私』はとんでもなく寂しかったろう。夫も息子も、乾いたスポンジのような私から『愛情』を搾り取られることはあっても、受け取ることは悲しく諦めていたに違いない。
結果、私達一家は一度破綻した。修復不能かと思えるくらい、バラバラになった。あの期間、どんな物を食べて何をしゃべり、何を考えていたのかあまり記憶にない。
ただただ家族を失うかもしれない、という恐怖に私は恐れ戦いていた。この恐怖はいつもの甘っちょろい幻想などではなく、現実になってしまう可能性が極めて高いこと、私がなにか行動を起こさねば必ずそうなってしまうこと、今のままの私ではいけないこと、自分の何かを変えねばならないこと、それには途方もない時間と勇気が必要なこと、が怒涛のように私に押し寄せてきた。
私はパニックになってしまった。

家族を取り戻そうと足掻き始めた頃は、失敗ばかりしていた。息子を悲しませ、夫を怒らせた。他者の前では笑っていたけれど、一人になると泣いてばかりいた。
幸せな家族に所属することは、永遠に無理かも知れない。そんなことも思った。なにもかも諦めて親とも夫とも音信を断ち、たった一人でどこかで人知れず死ねたら楽かも知れない、なんて思いも頭を何度もよぎった。自分を責め、親を恨み、夫と子供を恐れた。
私は自分を失っていた。

けれど、その頃出会ったなほさんに
「ミツルさんは、これからどうしたいの?ミツルさんの言葉で答えて」
と訊かれた時、私の心の奥底にあった答えが自然と見えてきた。
「家族を取り戻したい。心の底から一緒に笑い合いたい」
これこそが私の渇望していたものだった。
幼い頃から、どこか心の底から笑えない家しか知らなかった。家族とはそういうものだと、いつの間にか深層意識に刷り込まれてしまっていた。
違う。本当の家族を取り戻そう。
そう思った時、私の腹は決まったのだと思う。

思えばこれが初めての『私は本当はどうしたい?』という自問の答えだったのだろう。
私は必死に足掻いた。家族を取り戻す為に、『自分』に気付く為に。
その道のりは険しかった。もう諦めて楽になろうか、そんなことも何度も思った。でもその度に
『私は絶対に家族を取り戻すんだ』
という思いが私のぐらつく心を支え、奮い立たせた。
こんなに強く志を持ったことは、私のそれまでの人生で記憶にない。

なほさんに支えられながら、私は一生けん命手探りで『自分』と向き合う日々を重ねた。壮絶だったあの頃の気持ちを表す適当な言葉は、未だに見つからない。
やっとトンネルを抜けたと思えた時、私はとっくに沢山の幸せを手に入れていたのだと気付いた。すると感謝と充実感が私を自然と笑顔にした。
そこからは徐々に、トラブルもトラブルだと思わず、他者を憎まない自分になっていった。

感情の揺れは今でも毎日ある。けれどそれに振り回されることはない。
海に浮かぶ船に乗っていて、『あ、今の揺れはちょっと大きい』と思うような感覚である。
『自分』に向き合うのは苦しかったが、今はそれが日々の習慣である。
だから私は満たされている。意味不明な不安に襲われることはもうない。
大変だったけれど、あれは私の人生に必要だった日々なのだ。
人生は自分次第。
本当にそう思っている。