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沈めたはずの願望

先日私の前に、一組の男女が歩いていた。年齢は40代後半くらいだろうか。しっかり身体をくっつけて手を握り、二人共ニコニコしながら喋っていた。

それを見た時、私の心の中にちょっと"いじわるばあさん"的な気持ちが生じた。
こんなに暑いのに、よくもまああんなに引っ付いて歩けるなあ。一体いくつやねん?ええ歳して恥ずかしくないんかい。こんな公衆の面前で堂々とようやるわ…

私の夫は、若い時から絶対に人前で手を繋がない。「恥ずかしくて嫌や」という。なので、独身でお付き合いしている時から、手をつないで歩く、という事をした事がない。
若い頃は物足りなかった。私はこの人の大切な人なんだ、とつないだ手のぬくもりから、独占されている喜びを味わいたい気持ちになったものだ。誰にでも普通にある、女の子らしい気持ちだと思う。
しかし夫は無情にも、手繋ぎを頑なに拒み続けた。で、私も終いには諦めた。

それ以降、私は夫と手を繋ぎたい、という願望におもりをつけて海の底深くに沈めたつもりになっていた。
若いうちは何度かトライした事もあったが、その度に玉砕した。おもりはどんどん重力を増し、重ねていく年齢もあって私の願望は日本海溝くらい深い所に沈みきったかに見えた。

夫が拒むのは、公衆の面前で仲良くする様子を見せることのみだったから、愛情を疑う気持ちは起こらなかった。シャイな人なのだと思ったが、つまらないな、寂しいな、とは正直感じていた。

先日のカップルを見て私の内心に沸き起こった感情は『嫉妬』以外のなんでもなかった。
私は羨ましかったのだ。
日本海溝に沈めたはずの私の願望は、この年齢になってもまだ胸のうちにプカプカ浮いていたのだった。

年齢が高くたって、人前で手をつないだっていいじゃないか。外国の映像を見ると、そんな素敵なカップルは沢山いる。私だって、手繋ぎしたい。仲良くじゃれたい。
…という気持ちが冒頭の"いじわるばあさん"的感想になってしまったわけである。

恥ずかしい!

だけど、夫がこれから先手を繋ぐ事に前向きになるとはとても思えないし、嫌がるのを無理に繋ぐのはなんか違う。
もう20年くらいしたら、お互い転ばないように手を繋ぐ事はあるかも知れない。その時まで待つしかない。

ま、それでもいいか。
私達夫婦が仲良く暮らせているのは、お互いのおかげだ。
夫の気持ちを大事にしながら、そろそろ私の願望を日本海溝から引き揚げて、こうなんだよ、と伝えよう。

夫はきっとわかってくれる。その安心感があれば私はそれで良い。