ついうっかり
先日やっと、お気に入りのTシャツを出した。袖にちょっと透け感があって、涼しげなデザインのものである。
白だから、色んなボトムスに合わせやすくて便利だ。最近はちょっと暑い日もあるし、そろそろ着てもよさそうだなあ、なんてウキウキして出してみたら、悲しいことに裾の方に小さな茶色いシミが付いていた。
目立たない場所だし、裾をインして着てしまえば傍目にはわからない。出していたってよく見ないとわからないくらいのシミだが、こうなってしまうと、もういけない。
どんなにお気に入りでも、『シミが付いている』という現実が、私の気持ちを萎えさせる。気になってしょうがない。『シミの付いた服を着る自分』が許せないのだ。
勿体ない話だが、こういう服は二度と気の張る外出には着ていかない。せいぜい普段着にしてしまうか、酷いと部屋着かパジャマ程度の役割しか与えない。
汚れのある服に袖を通し、外に繰り出すなんて考えられない。気分が下がる。そんな自分を白日の下に曝す勇気はない。
已む無くそうしなければならない状況下にあったならしょうがないが、そうでなければ絶対にしない。
妙なこだわりだとは思うが、嫌なものは嫌なのだ。
子供の頃から潔癖な父に、服を汚すことについてはかなり神経質に怒られてきた。食事の時にうっかりソースを飛ばしたりしようものなら、
「女の子が、何をはしたないことをやっているのか。そんな行儀の悪い子供に育てた覚えはない」
などと強く叱責されたものだった。
だから食事の時は『汚さないか、飛ばさないか』と気になって仕方がなかった。食事に集中出来ないくらいだった、と言っても言い過ぎではないと思う。私にとって、父と囲む食卓は緊張の連続する場所だった。
幼い頃に刷り込まれた感覚というのは恐ろしいものだ。
アラカンと呼ばれる年齢になって尚、未だに服を汚してしまうことに強い違和感と嫌悪感を覚えるのは、父の視線に怯えていたこの頃の記憶があまりにも強すぎる為だろう。
なのにどうしてか、気付くとどこかしらにソースや醤油を飛ばしてしまう。ケチャップなどの小さなシミが付くのはしょっちゅうだ。気を付けているつもりなのだが、どうしてもやらかしてしまう。
派手にやらかすことは滅多にないが、ほんの少しやってしまうのである。食べ方が下手なのか、生来の行儀の悪さがそうさせるのか。皆目見当がつかない。
とにかく私の白っぽい服が、二シーズン無事だったことは数えるほどしかない。
父があんなにスパルタ式で仕込んだお行儀も、あんまり役に立っていないと言わざるを得ない。
食品以外でもちょいちょい服を汚してしまう。例えばボールペン。
仕事着の胸ポケットにしまう際、面倒がってペン先を出したままだと、ブラウスの胸元にボウフラみたいな線が何本も入ってしまう。
先をしまってからポケットに入れようとは思っているのだが、ついついやらかす。お気に入りの服でやることはないが、仕事着は借り物である。返す時は多分、何か言われることになるに違いない。
ボールペンの汚れは本当に取りにくい。どうしてこんなに落としづらいのかと思う。仕事着だから諦めて着るしかないが、ちょっと格好悪いし、恥ずかしくもある。
腕などを蚊に刺されて、無意識に搔いているうちに搔き破り、小さな血液のシミをこさえてしまう、なんてこともちょいちょいやらかす。
血液はハイター等で取れることが多いが、時間が経つとやはり落とすのに苦労する。
搔かずに処置すれば良かったのに、と我慢の出来ない自分に苦笑いすることも多々ある。
シミ抜きも今は良い洗剤が色々あって、付けてすぐなら案外簡単に取れる。
しかし一年経って取り出した服についているのを発見したシミは、少なくとも一年以上前に付いたものである。そう簡単には取れない。
お気に入りの服だと泣きたくなるが、諦めるしかない。
ついうっかり、の多いユルユルな暮らしは楽だが、シミの付いた服はやっぱり頂けない。出したばかりの服を前に、ため息をついている。
今年も一着、新調するしかないか。