偶然の産物
今から十五年以上前のことである。
帰宅すると、家の電話に留守電の灯りがピコピコしていた。録音を聞くと、母からである。
「心配かけたけど、お父さん無事やからね。安心して下さい」
と入っている。大変慌てた様子である。胸騒ぎがしたが、『大丈夫』ということは既に事態は終息しているということか。
何のことかわからないので、取り敢えず母に電話を入れた。
「あんた、テレビ観てへんかったんか?」
母は開口一番、こう言って私を責めた。まるで全国民が観るべき番組を私一人が見逃したような言い方である。
益々何のことかわからず、私は混乱した。
「何のこと?」
「テレビつけてごらん。今、どの局でもやってるから」
それが父とどういう関係にあるのか分からず、不審に思ってテレビをつけると、画面に大写しになっていたのはどこかの地方空港だった。小さめの飛行機が一機とまっており、回りは消火剤のようなものが撒かれたのか、真っ白になっている。あちこちに消防車が停まっている。緊迫した様子が画面越しに伝わって来た。なぜこれが父と関係があるのだろう、と暫くは理解できなかった。
母によると、父はその日の朝から高知県の友人のところに、仲間数人と一緒に行くことになっていた。既に退職してのんびりした日々を送っており、空いている平日にゴルフをしよう、夜はみんなで楽しく飲もう、と二泊三日の予定で出かけたのである。
飛行機で出かける時はいつも『着いたぞ』と連絡が入るのにその日は音沙汰なしで、随分遅いなあ、浮かれて連絡忘れとるんやな、あんぽんたんめ、と母はちょっとプンプンしていたらしい。
買い物を済ませ、家に帰ってなんとなくテレビをつけると、前輪が出ず着陸できない飛行機が胴体着陸した、というニュースで各局持ち切りだった。
高知竜馬空港という文字を見て、母はまさか、と蒼ざめた。程なく父から無事だという連絡があり、腰が抜けてしまったようにその場にへたり込んだという。
その年のゴールデンウイークに帰省した際、父本人から当時の機内の様子を聞くことが出来た。
空港の上空を旋回するばかりの飛行機に、皆おかしいと思い始めていた。前輪を出そうとする音だったとは分からなかったが、何か機械音がウイーンウイーン、と何度も響いた。父は友人と『おい、車輪出えへんのと違うか、そうやったらマズいぞ』と話していたそうだ。
やがて機長から状況についてのアナウンスがあり、胴体着陸を試みることについての説明があった。後に報道もされていたが、機長はじめスタッフは皆とても冷静で落ち着いていた為、誰も騒ぐこともなく乗客はずっと冷静だったという。
父の周囲の乗客は殆どがビジネスマン。平日だから当たり前である。機長のアナウンスを聞いた途端、何人かがポケットから手帳を取り出し、必死で何か書き始めたそうだ。家族への遺書のつもりだったのだろう。
父の脳裏にも、咄嗟にあの御巣鷹の事故が思い浮かんだらしい。しかし、機長のアナウンスがあまりにも落ち着いていたことと、長時間の旋回は燃料を減らすためのものであること、パイロットはその訓練を積んでいること等を知っていた為、『なるようにしかならん』と腹を括ったのだという。
『姿勢を低くして、頭を下げて下さい』
と言うような注意があった後、飛行機は無事に着陸した。通常の着陸よりも静かなくらいだったという。飛行機が停止した瞬間、誰からともなく拍手が沸き起こったそうだ。
非常用の道具を使って地面に降り立った時、流石の父も『ああ、生きていたなあ』としみじみ感じたという。後にテレビで、火花を散らして滑走路を滑っていく飛行機を見た時の方が怖かった、とも言っていた。
父にピンチが訪れていた、というのに、母は『まだ連絡して来やがらん』と立腹していたというし、私ものんびりと外出していたから、知らぬが仏、である。予感もへったくれもなかった。
しかし降りてくる乗客の中に、非常用の階段の最後の方をすっ飛ばしてぴょんと飛び降りた人を見た時、母は『これはお父さんだ』とすぐに分かって安心した、というから夫婦って凄いと思った。
生きているなんて本当に偶然の産物なんだな、と思えた、昔々の出来事である。