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知ーらないっと

先日の朝のことである。
「おはよう」
といつものように起きてきた夫の様子が何かおかしい。体調でも悪いのかな、と思い、
「どうしたん?」
と私が問うと、ほぼ同時に
「差し歯が抜けた」
と夫がコロンと取れた歯を見せた。

夫はお世辞にも歯が良いとは言えない。
本人は「親がロクに予防をしてくれなかったから」と言う。私も虫歯の治療には若い頃から苦労してきた人間であるから、夫の意見もわかる。
私達の親世代は、まだ世の中にふんだんに甘いものが出回っていない子供時代を過ごしている。だから多少歯磨きをサボったところで、虫歯なんて出来なかった。歯医者は歯が悪くなったら削ったり抜いたりしてもらうところで、普段は用事のない所、そんな風な考え方が世の中の大半だった頃の人達である。
その考え方に基づいて育っている私達世代はどうかというと、お菓子はいつでもどこでも安価に手に入り、気軽に食べられる、毎日口にするものだった。
それだけ甘いものを口にしているのだから、本当はもっとマメなメンテナンスが必要なのにも関わらず、歯磨きや予防に関する流儀は親世代の常識をそのまま踏襲していた。だから、必然的に虫歯になってしまっている。同年代には同じような方が多いのではないかと思う。

夫の差し歯も虫歯の治療の痕跡である。なんでも三十年ほど前に入れたものらしい。私と出会うより前である。随分年季の入った歯である。
入れてくれた歯医者はとっくに亡くなっているそうだ。
「じゃあこれ、渡しとくね」
私は預かっている夫の保険証を引き出しから出してきて、夫に手渡した。当然、会社帰りにでも歯医者に寄って、差し歯を治してくるとばかり思っていたからである。
ところが。
「要らん。しまっといて」
という夫。出た、THE面倒臭がり天邪鬼。
「じゃあどうすんの?」
心の中でため息をつきつつ、努めて穏やかに問いかける。
私の歯じゃないから好きにすりゃええんやけど、『具合が悪い』とぐちゃぐちゃいうのを聞くのは、ひたすら面倒臭い。とっとと治しに行かんかい。

「嵌めてみたらな、なんとかくっつくんや。だから今日はこれで行くわ」
そうですか。ご勝手になさいませ。
「食事の時飲み込まんようにね」
ちょっと皮肉を込めて言うと、
「おう」
とやや真面目な返事が返ってきた。
どうにでもしてつかあさい、おとっさん。

差し歯の位置は上の前歯の中央付近だから、取れると非常にカッコ悪い。レレレのおじさんみたいになる。しかも凄く老けて見える。知らないのは鏡を見ない本人だけだ。
帰宅後、夫は夕食中もしきりと歯をいじっている。乳歯がグラグラしている時の子供みたいだ。衛生的にもどうかと思う。
しかしそんなことを言おうものなら、またここぞとばかりに天邪鬼が暴れ出すに決まっているので、もう知らん顔を決め込む。
食事中の会話も、専ら歯と歯医者の話題である。不毛過ぎる。
「ええ歯医者知らんか?」
本当に治す気があるのだろうか。怪しいものだ。
「さあ、私の行ってるところは良いとは思わんよ。悪くない、くらい。他は知らん」
気に食わなかったら、けちょんけちょんにこき下ろされるのが分かっているから、絶対に勧めない。夫に自発的に行きたいと思うところを選んでもらうに限る。
「どっか教えてくれよ」
出た、THE面倒臭がり他力本願。その手には乗りません。
「さあ、知らんなあ。会社の人に訊けば?」
突き放すのも愛である、と思うことにする。

数日後、夫はニコニコしてこう報告してくれた。
「通販でな、ポリ〇リップ買ったんや。ええ具合でな、ピッタリくっついてくれる。もう歯医者行かんでもええわ」
あ、そう。
「取れたからな、嵌めてたところ綺麗に洗えて良かったわ。このままでいこうかな」
ふーん。良かったね。
ぐうたら過ぎて、最早何を言う気も起こらない。

今後どうなるかは容易に想像がつく。
何処かとんでもない所で歯が取れる。とても困った事態になる。もしくは痛い思いをする。結果、緊急で歯医者に駆け込むことになる。
そんな意地の悪い想像しなくても、というなかれ。実績があるのだ。
数年前、夫は治療をせずにウダウダと放置していた虫歯が出張先でどうしようもなく痛み出し、鎮痛剤で抑えたものの堪えきれず、ウチの近所の歯医者に出先から直行して、時間外に診てもらった経験がある。
幸いとても優秀な歯医者さんで、夫は事なきを得たのだが。
今回も同じようなことになるに違いない。
ちょっとは懲りないのかなあ、と思う。

今のところ、ポリ〇リップは快適なようだ。
さあ、夫が大騒ぎすることになるのは明日か、三年後か。五年は持つまい。
スリリングなような、ちょっと面白いような気持ちで夫の前歯を見守っている。
私、関係ないもん。知ーらないっと。