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チンタカツンタカ

最近、米津玄師さんの『さよーならまたいつか!』がお気に入りである。
テレビから流れてきたりすると、つい合わせて鼻歌を歌ったりしてしまう。
リズムが軽快で心地いいし、歌詞も好きだ。気怠いような、でもどこか強い主張を感じる米津さんの歌い方も良い。聴くとご機嫌になる。
対して夫は音楽好きではあるが、こういう『流行りもの』に全くと言って良いほど興味がない。だから私がフンフンと機嫌よくハミングしているのを、不思議そうな顔をして聴いている。
そしてため息をつきながら、こんなことを言う。
「最近の音楽は『チンタカツンタカ』してるばっかりで、さっぱり訳分からんわ」

実はこのセリフに、私は聞き覚えがある。
まだ独身で実家にいた頃、ドリカムの『晴れたらいいね』がテレビから流れてきて、合わせてハミングしていたら、居間で寝そべっていた父に
「お前ら、ようこんな音楽分かるなあ。『チンタカツンタカ』してるばっかりで、ワシにはさっぱり訳分からん」
と呆れたように言われてしまったのである。
この時は
「お父さん、なにその言い方!」
と大笑いしておしまいになったのだったが、まさかウン十年後に自分の夫が同じセリフを吐こうとは、当時の私は知る由もなかった。

一体何を以て『チンタカツンタカ』というのか、こっちこそ訳が分からないが、一応分析を試みてみる。
多分ドラムセットのハイハットの音か、スネアドラムのリムショット(太鼓の縁を叩く奏法)なんかを耳にして、『チン』『ツン』と表現しているのだろう。
そして『タカ』はもとより、スネアの打面を普通に叩いた音なんだろうと思われる。
つまり『チンタカツンタカ』はドラムセットの、主にスネアドラムの音のことであると推測される。

夫とウチの父の脳内では、『最近の』『若いもんの聴く』『流行りの』歌は、『自分には馴染みのないリズムの』『スネアドラムの音が耳につく』『やたらとテンポの速い』『歌詞が聞き取りづらい』もの、なんだろう。
それを端的に表現したのが、『チンタカツンタカ』という、スネアの音を極限まで簡素化した擬音語なのだろう。
要するに、『私はもう若者文化についていけません』と白旗を揚げた状態を示している言語である、とも取れる。

ドリカムならそんなに速いテンポだとは思わないが、『高校三年生』(作詞 丘 灯至夫・作曲 遠藤 実・歌 舟木 一夫)が大好きな父からすれば、十分に速すぎる『チンタカツンタカ』な音楽に聴こえたに違いない。
それにしても舟木一夫を聴いていた八十過ぎのお爺さんと同じ言い方をする夫は、いくらなんでもちょっと老けすぎではないか、と思ってしまう。
「あんたなあ、その言い方、ウチの父とまんま同じやで」
と言うと、流石にショック?だったようで、
「そやかて、『チンタカツンタカ』しか分かれへんねんもん」
と言うと、ムスッと拗ねてしまった。
あら、傷ついたかしら?

かく言う私も、乃木坂なんとかとか、若い女の子がいっぱいいる集団(既にこの表現が酷い)の歌はよく分からない。『チンタカツンタカ』とは思わないが、なんだか一生懸命聴こうという意思が、聴いているうちに勝手に失せていってしまうので、ちゃんと聴いたことがない。
因みに彼女たちの個体の識別もつかない。誰が誰で、誰がセンターとか、全く分からない。彼女たちの内の誰彼が女優としてドラマなどに出ていると、ああ可愛いなあと思うのだが、経歴をきいて初めて『○○というグループのメンバーだった』などと知り、驚くことがしょっちゅうである。
生田絵梨花さん、秋元真夏さん、長浜ねるさんなどが良い例だ。彼女たちの所属していた元のグループを、私は全く知らなかった。
夫のことは笑えない。

若い人の文化?に無理に触れようとは思わないし、いつの間にか耳目が遠のいていることを感じる時もある。最近は若い人のテレビ離れなどもあって、そういう番組が自然と減っているのも一因だろう。
私もいつかは孫に向かって
「あんたらの聴いてる音楽は『チンタカツンタカ』してるばっかりで、おばあちゃんにはエエんか悪いんか、さっぱり訳分からんわ」
なんて、笑いながら言う日が来るのだろうか。
いずれにせよ、良いものはいくつになっても素直に『良いなあ』と思える心を忘れないようにしたい。
そして百歳になっても米津さんの歌をハミングできる、チャーミングなおばあちゃんでいたいものだと思う。