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『余命6カ月の男』に起きた重大変化 〜その②~

ご覧いただきありがとうございます✨

その①の続きとなります!

移住して数カ月後に起こった不思議なこと

スタマティスと妻のエルピニキは、
島の東海岸にあるアギオス・キリコスという
町の郊外にある、なだらかな2エーカー
(8094平方メートル)のブドウ畑の中にある
白亜の小さな家に、スタマティスの年老いた
両親と一緒に引っ越してきた。

ここでは、ユリシーズの時代から伝説となっている海のそよ風が1年中吹いている。


最初、彼は母と妻に看病されながら、
ベッドの上で過ごしていた。

しかし、人生の終わりが近づいていることを
感じた彼は、宗教とのつながりを取り戻すこと
を決意した。

日曜日の朝、家を出て丘を登り、
祖父が司祭を務めていたギリシャ正教の
小さな礼拝堂に足を運んだ。

彼が戻ってきたことを知った幼なじみたちは、
定期的に彼を訪ねてくるようになった。

彼らは何時間も話をし、必ず地元産の
ワインを持ってきてくれて、
彼はそれを1日中飲んでいた。

彼は思った。
これで、幸せに死ねるかもしれないと。


その後の数カ月間、不思議なことが起こった。
体力がついてきたのだ。

午後になるとベッドから起き出して、
家の裏にある庭やブドウ畑を歩き回った。
ある日、彼は野心を抱いて、ジャガイモ、
ネギ、ニンニク、ニンジンを植えた。

生きて収穫できるとは思っていなかったが、
太陽の光を浴び、海のきれいな空気を吸い、
自分の生まれた土で手を汚すことを楽しんだ。

自分がいなくなっても、妻のエルピニキは
新鮮な野菜を楽しむことができる。


半年が過ぎた。スタマティスは死ななかった。

それどころか、彼はあの庭から収穫し、
勇気を出して家のブドウ畑も、
きれいにしたのである。

遅く起きて、昼過ぎまで畑仕事をして、
自分で昼食を作り、長い昼寝をするという、
島での生活になじんでいった。

夜になると、家で友人とワインを飲んだり、
歩いて近所の酒場まで行き、夜中まで
ドミノ倒しをしたりして過ごした。

年月が過ぎ、彼の健康状態は向上し続けた。

両親の家には、子どもたちが遊びに
来られるようにと、数部屋を増築した。

ブドウ畑を整備し、年間400ガロンの
ワインを生産するようになった。

そして35年後の今日、彼は100歳になり、
がんとは無縁の生活を送っている。

彼がしたことは、イカリア島への
移住だけだった。

もう1つのブルーゾーン?

私とイカリア島のつながりは、
2008年の暮れ、1本の電話から始まった。

「調査しなければならない」

と、人口統計学者のミシェル・プーランが
ベルギーから電話をかけてきたのだ。

ブルーゾーンを探すために世界中を
回っていた彼は、ギリシャの島々で
驚くべき発見をした。

最近の国勢調査のデータによると、
85歳以上の高齢者の割合が非常に高い
村々がそこに集まっている。

どうやら、イカリア島は健康な百歳人
(センテナリアン)の宝庫だったのだ。

その後2年間、ミシェルと私は
「ナショナル・ジオグラフィック」の
2回の調査団を率いて、イカリア島の
驚異的な長寿を調査した。

そしてイカリア島にもブルーゾーンが
あることを確信した私は、なぜ、
ブルーゾーンができたのかを説明する
最初の手がかりを探すために出発した。

ブルーゾーンの研究を始めてから、
私はどこに長寿のヒントがあるかを
知ることができるようになった。

8年前にはじめて沖縄を訪れたときは、
酸化ストレスを抑制する秘密の微量栄養素や、
ウコンやヨモギのような昔からある、
薬用食品など、長寿の特効薬を探していた。

それらを組み合わせて、サプリメントに
できないか。サルデーニャでは、動脈硬化を
予防するポリフェノールの含有量が世界一の
カンノナウ・ワインに興奮した。

コスタリカではメソアメリカの「三種の神器」
と呼ばれる、豆、カボチャ、トウモロコシが、ニコジャ半島の並外れた長寿の秘訣
ではないかと考えた。

しかし、私の科学アドバイザーたちは、
これらの食材だけでは長寿を説明できないと
指摘した。

時間が経つにつれて、私が探しているのは、
1つの独立した成分ではないことを、
受け入れるようになった。


👉🏻その③へ続く to be continued...


その①はこちら👇🏻


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