〇〇ができる人は、なぜ〇〇ができるようになったのかを考える

ある時、ずっとできなかったことができるようになることがある。「〇〇をやろう」と決意したわけじゃない。どっちかといえば、「なんで〇〇をやってなかったんだろう」と疑問を感じて、なぜか自然にできるようになるのだ。

例えば、朝の早起き。「早起きしたいなあ」と思ってる時はできないのに、「なんでみんなが早起きしてるのかわかった」時に、自然にその行動ができるようになる。早起きの場合は、みんな努力して早起きしてるわけじゃないとわかった。昔からの習慣、働き方の都合、そして、自分の時間を確保するため、という環境や状況に起因する理由がほとんどなのだ。早起きができる人にとって、早起きは目的ではないのだ。

自分のやりたいことに頑張って理由をつけても、結局できるようにならないのだ。ある物事の必要性や必然性が理解できた、ということかもしれない。ある物事をなぜみんながやっているのかわかるかどうか、それが大切なのかもしれない。

でも、実際はそこまで考えていない。ある時、ハッと気づくのだ。最初は、「あれ?」という違和感から。その後に、違和感の後から、理由が自然に顔を出す。理由を探す、見つけるのではなく、理由が見出されるのである。

理由を自ら見出せた時、人の行動は変わる。いちいち理由を考えなくて良くなるからだ。理由を考える時間がなくなったら、行動を妨げる要因がなくなる。

〇〇ができるようになりたい、と思った時は、理由は考えなくていい。〇〇ができる人は、なぜ〇〇ができるようになったのか、なぜその人に〇〇が必要だったか、を考える。そして、なるべくその人と同じ状況に身を置く。そしたら勝手にできるようになるはずだ。

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