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猫を飼ってから、私の生活は変わった

エッセイを書くのはだいぶ久しぶりだ。こうやって note に向かって、何か文字を書いている瞬間を懐かしく感じる。あんなにたくさんエッセイを書いていたのは、もう半年以上も前のことかと振り返る。

私は今、猫と一緒に暮らしている。半年前の私が想像もしていなかった事態だ。名前は、『ベル』と名付けた。ラガマフィンという、ラグドールの親戚に当たる猫種のメス。今、だいたい3ヶ月くらいの子猫である。目が綺麗で、とても綺麗な顔立ちをしている子である。

動物を飼うのは初めてではない。実家には、生まれた時から犬がいたし、今も妹や親戚が飼っている犬と戯れるのを楽しみに帰省したりしている。もともと動物は好きだ。今まで犬を飼ってきたことで、命の大切さについて考えるようにもなったと思う。飼うのと同時に、私は何頭も看取ってきている。死に立ち会うのは何度経験してもやっぱり辛い。

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では、なぜ猫を飼い始めたか、という質問にはうまく答えられない。もともと犬か猫かを飼うことは常に考えていた。いろんな動画や人からのアドバイスを聞いて検討した結果、猫じゃないと私の生活リズムには合わないとも思っていた。朝が弱く、夜遅くまで仕事をする私には散歩の時間が苦になるだろうし、家を空ける時間が増えたときに寂しがられても困るし、しつけをするのも大変だろう、といった次第だ。

でも、最後はなんとなくで決まった。近所にあるペットショップにたまたま行って、可愛い猫がいて「飼おっかな」と思った、ただそれだけなのだ。周りから見えてるほど真剣に考え込んだりしていないし、ペットショップは私にそんな猶予を与えてくれなかった。具体的な時間で言えば、出会ってその日に飼うことを決めた。

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猫が来てからというもの、私の自宅に対する価値観は大きく変わった。今までは、自宅のことをオフィスだと思っていて、仕事をする部屋に寝食できる機能がついたものとみなしていた。ベッドを捨てようと思っていたのも、オフィスにはベットがあるのは相応しくないと考えたからである。

しかし今は違う。気づけば猫が駆けずり回っているし、邪魔もしてくるし、ずっと集中して仕事をするのが難しいなぁと感じるようになった。もう、自宅をオフィスと見なすのは難しい。今の認識は、猫の部屋。私は猫の同居人で、一部の空間を間借りしているような感じがしている。猫の機嫌に少し気を配りつつ、仕事をするそんな感じである。一見すると、とても悪いことのように思えるが、私にとっては適度なブレーキがあるような気持ちで、むしろ嬉しさを感じている。

今まで私は、働きすぎる自分の性格をずっと肯定しようとして、でも疎ましい気持ちも少しあって、葛藤していた。気づけばプライベートがほとんどない、そういう生活スタイルをずっと続けてきた。今は猫という、一種の自制装置が働くことによって、私がアクセルを踏みすぎた時に適度なブレーキがかかる。ペットが亡くなる辛さを知っているからこそ、蔑ろに扱えないと思っているし、そうやって自制が働く瞬間を今は噛み締めている。

少し大袈裟かもしれないが、何かを大切にしたいと思う気持ちはすごいなと思う。今は、猫を大切に思う気持ちが溢れて仕方ないし、そのおかげか他の人にも少し優しくあれる気がする。この気持ちはよくわからないし、うまく言語化できないが何かが確かにある。お子さんを持つ、親に感じていた強さのようなものは、もしかしたらこれだったのかもしれないと今は感じる。

猫を飼ってから、私の生活は変わった。これは間違いのない事実だ。客観的に見て、良かったか悪かったかは知らない。でも、私は良かったと思っている。それだけの事実で十分だし、それ以上何もいらない。


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