煩悩と悩みは、捉え方次第で

ある人に「山本さんって煩悩なさそうですよね」と言われた。煩悩ってなんだっけ?と調べてしまった。Weblio によると以下のようなものらしい。

煩悩(ぼんのう)とは、「身心を悩まし煩わせる心のはたらき」を意味する仏教の用語。迷いや苦しみの原因となる心のけがれ。典型的には「貪瞋痴の《三毒》」など。通俗的には、とりわけ「物欲」および「性欲」を指す意味で用いられることが多い。

Weblio

物欲も性欲もあるから、通俗的な意味合いでは私も煩悩を持っている。が、迷いや苦しみの原因となる心の汚れは確かに少ないかもしれない。荒むことはあっても煩悩に苦しむことはあまりない。

でも、これは私の気質的な問題というよりも、自分の心のうちで煩悩のタネみたいなものをなるべく早い段階で解消してしまっているからでもあるのだ。「モヤッとするなぁ」とか「なんでこんなことしないといけないんだろう」とかそう言う、なんでもない不安を放置すると煩悩に成長し、自分の精神を蝕む、と私は考えている。そうならないうちに対処をしておき、煩悩となる原因を早めに駆逐してしまうのがいいのだ。

どうやってやるのか?というと、とにかくまず「自分がモヤッとした気持ち、不満に感じている気持ちに気づく」ことから始める。どんなに些細なことでもいい、自分が「なんか違うな」と思った瞬間を忘れずに、そこで「なぜ今違うと私は感じたのか」をとにかく突き詰めよう。

例えば私も、「自分は本当は〇〇が良いと思っているのに、言い負かされてXXになってしまったことが不満」と感じることもある。まず、この不満を言語化し、実態を掴むことが重要なのである。モヤッとした悩みや不満をそのまま放置してはいけない。

まずは、不満を言語化し顕在化したのちに、「なぜそれが不満なのか」をもっと考えてみる。「自分がいいと思ったことを認めてほしかった」とも考えられるし、「強引に自分の意見を通されたことがいやだった」とも考えられる。「なぜ自分自身は、この事象に不満を感じているのか」をとにかく突き詰める。自分の根源的な気質に迫っていく作業でもあるため、自分の嫌な点を認められない瞬間もあるかもしれない。それでも一旦、客観的に突き詰めてみよう。

例えば、私の場合は「自分がいいと思ったことを正しいと思ってしまう自分」が、不満の根源になっていることが多い。実は時間が経つと別の選択肢の方がよかったとわかることも多い。(その事実を認めきれない自分もいるのだが、それも自分で説明できるほどには突き詰めている)

私は自分の中で確信度の高い事実を見つけると、「自分が正しいと思ったことを正しいと主張し、認められたいと思う自分」が生み出されてしまい、それが周りに認められないと、自分の想定した展開とのギャップ、さらには自分が正しいと思ったものを否定されてしまった嫌悪感に見舞われ、不満に感じてしまう場合がある。特に、相手の意見が明らかにジャストアイデアであった時は受け入れるのに時間がかかる傾向にもある。

でも、不思議なことにこの事実に気づいてから、自分の感情・情動を客観的に知覚し、自分の気質と照らし合わせてブレーキをかけられるし、この性格特性をうまくコントロールできるようになった。実は客観的にみてみると、全く悩む、不満に感じるほどのことではないことも多く、流れに身を任せて仕舞えば結局みんな幸せになるシーンも多いことに気づけている。

だから、結局のところ不満を抱えるまでもないと、今は気づくに至れており、モヤッとするものが存在しないため心を迷わせる物事が存在しない状況となっているのだと思う。

まずは、不満、不安の正体をちゃんと見つめて、突き詰めて見切る。そうすると、悩みの根源は意外とどうってことないことも多く、視点を変えてしまえば悩む必要すらない場合だって多いことに気づけるだろう。

私はそんなふうにして煩悩や不安と対峙し、そして存在自体を無かったことにしている。だから、全然煩悩がないように見えるのかもしれないなと思った。

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