ハワイに暮らすシロクマになる - 発達障害のまま生きていく-


アドハドアドベントカレンダー15日目です。

初めましての方も、そうでない方も、こんにちは。
今日のアドハドアドベントカレンダーを担当する、やっしーと申します。
人生初のnote投稿です。
文章を書くのって面白さと大変さがあるな、という
言葉にすると当たり前のようなことを痛感しながら書いています。

発達障害の方に話を聞くと、
社会の中でどう生きていけばいいのか分からない、
自信がないという話をよく聞きます。
僕も同じような悩みがあります。
能力が凸凹すぎて、社会と折り合いをつける自信がないんです。
でもこの一年間で少しだけ気持ちの上での折り合い方というか、
生きる技術みたいなものが少しだけ見えてきたので、
今日はそのことについて書きます。

※「生きる技術」というテーマを拡大解釈して、こころの持ち様の話を書きました。「自分の認知の歪みを自覚したことで、少し生きやすくなった。歪みを知ることは生きる技術だと思う。僕の場合は能力の凸凹のせいでセルフイメージがつかめなくなっていたことで生きにくくなっていた。」という趣旨のことを書いたつもりです。ライフハック術の話ではないのですが、今日はそういう回なのだと思って暖かく見ていただければありがたいです。

———————————————————————————————————

”できる方の自分”のセルフイメージから見た、情けない自分

こんなことも出来ないなんて、情けない—いつもこの言葉が頭の片隅にあります。
だって、周りの人たちは簡単そうにこなしてしまう。
ミスなく書類を書くこと、
簡単な問題を間違わないで解くこと、
自分の立てた予定通りに行動すること。
どれも全部、嫌だ。
得意なこともたくさんあるのに、本当はもっと出来るはずなのに。
うまく出来なくて、情けなくて仕方ない。
そんな生意気な歪みが、ずっと前から僕の心の中にはあります。

ADHDの診断に感じた喪失感

発達障害の仮診断がついたのは、およそ一年前のことでした。
それまで自分のADHD傾向をうっすら自覚していたものの、
それが能力のアンバランスさそのものだということを知りませんでした。
だから、自分の能力の凸凹を数値として初めて見たとき、喪失感があったんです。
もともと「ある」と思っていた能力の一部が、「なかった」—。
自分の一部が欠けてしまったような感覚。
その一方で「自分はもっとできるはずなのに」という肥大化した自意識。
その二つはぶつかって、混ざり合うことがありませんでした。
僕にとって発達障害の診断は、培ってきた能力の喪失そのものに感じられていました。

“できない方の自分”のセルフイメージへの反動

そもそもこれは、「喪失」なのかな、
うまくいかない自分の方が本来の自分の姿なのかな、
そんな風に感じ、すっかり自信を失ってしまっていました。
ひとたび「自分はできないんだ」という矮小化された自意識を持ってしまうと、
やることなすこと、自分のできなさへの証明のように思えてしまいました。
ADHDと診断された自分のことを、後ろめたく思っているところがあったんです。

生きずらさの根本を見つけた : ADHD特性があるからといって、後ろめたく思う必要はなかった

自信を失って人生に迷っていた僕は、うまく言い表せない葛藤を言葉にしたくて、悩みを代弁してくれそうな小説を探していました。
その時に読んだ、「西の魔女が死んだ」という小説の一文にハッとさせられたのを覚えています。小説の中で、主人公のおばあちゃんは、小学校にうまく馴染めない主人公に対してこう言います。

「シロクマがハワイより北極で生きることを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか」

そうか、僕はハワイで生きようとしていたシロクマだったんだ。
シロクマは冷たい水の中でスイスイ泳げても、暑いところはだめ。
そういう生き物だし、それを自分で責めてもしょうがないことなんだ。
ハワイで生きていくのに不利な特性を持っていたからって、それを後ろめたく思う必要はなかったんだ。だってシロクマはシロクマでしかない。
それなら”北極”に行きたい、そんなことを考えていました。

ハワイの中に北極を探す

じゃあ、僕にとっての北極ってどういう環境だろう?
どこで働いても僕の特性は不利に働くように思えてしまいました。
そんな中、ライフハックを駆使して上手く適応し、
それだけでなく自分の強みを生かしながら働いているADHD持ちや、グレーゾーンの人たちの存在を知りました。
彼ら彼女らのお陰で、ハワイには工夫しだいで北極を作り出せるし、順応できる余地がある、そう思えるようになってきました。

ハワイに暮らすシロクマになりたい

自分はシロクマ以上でも以下でもないんだ。
それなら、よりよいシロクマ生を生きることに手を尽くしたいと思う。

僕がどういうシロクマなのかは、まだ掴みきれていません。
それでも、大きくもがき、たくさん間違い、たくさん学び、工夫し、少しだけ前に進む。
これがきっと楽しいシロクマ生の歩き方だと思う。
今日も明日も明後日も、0.1歩でも前に進めたら儲けものだ、と思っています。

いいなと思ったら応援しよう!