西洋美術雑感 16:マティアス・グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画・磔刑図」
ついでなので、北方の絵画で行くところまで行ってしまおう。この陰惨極まりないキリストの磔刑図は、グリューネヴァルトのものである。
グリューネヴァルトを知っている人はどれぐらいいるのだろう。その特異さのせいで一部に有名ではあるけれど、メインストリームにはやはり乗らないのではないだろうか。時代的には、北方絵画の後年の巨匠であるデューラーと同じである。デューラーは知る人も多いと思うが、あの人の絵が北方ルネサンス後の正統な方向を決めたものだとすれば、このグリューネヴァルトはそこからは外れる。
しかし、僕にはやはり、ファン・エイクから始まる北方の画家の描いた油絵の数々は、ひとつの共通した、暗くて、陰鬱で、重い感じをみな持っているように思え、グリューネヴァルトが特別とは決して思わない。
それにしてもこんなにことさらに陰惨に描かれたイエス・キリストの姿もほかに無い。伸びきった痩せた腕と、苦痛にゆがんだ指、鉄釘を打ち込まれた足に全体重がかかることによる変形、苦悶に歪む顔、数々の拷問の末に傷だらけで木片が突き刺さったぼろぼろの皮膚、と、これでもかと悲惨な苦痛を克明に描いている。言ってみれば、ここにはもう神秘はなく、われわれがふだん生きている無慈悲な「自然」しかない。現代のわれわれはこれをリアリズムと呼ぶだろうか。僕はそれは違うと思う。ではなにかと言われても答えにくいが、これは、意図的な趣向だと思う。要は、残酷趣味をその裏に持っていると思う。
僕はかつてグリューネヴァルトの画集を持っていたが、彼は、人間のいろいろな局面での奇妙で醜い肢体をたくさんスケッチしていて、かなり研究していたことが分かる。そのデッサンの巧みさは驚異的で、ただ、彼がそういう奇妙なものに惹かれる傾向があったことは、それらから伺い知れた。その研究のもとに、彼はイエスの「人間的な」苦しみをこうやって描いたのであった。
北方の画家はファン・エイクからはじまり、対象を克明に写し出す伝統があるのだが、その極端な例としてもいいかもしれない。ただ自分として強調しておきたいのが、北方の画家が対象を克明に描き出すことは、現代でいうリアリズムとはおそらくほとんど関係ない、ということだ。ただ、この話は長くなるので、ここでは止めておく。
この磔刑図は、もとは、イーゼンハイムの祭壇画の中の一部で、その祭壇画は何重もの見開きがあって、そこにさまざまな絵が描かれているのである。この祭壇画はもともとはフランスとドイツの国境近くのイーゼンハイムというところにあった修道院に付属の施療院の礼拝堂に飾ってあったそうで、そこは当時の病気である麦角中毒の患者を収容する施設でもあった。麦角菌に冒されると極度の血行不良になり手足が壊死して落ちてしまう、恐ろしくもおぞましい病気で、修道女たちがそれら病人を看護していたのである。
そんな過酷な人間の苦しみの場に、この祭壇画は掛けられ、まさに、イエスが苦しんだ末に殉教したように、あなたたちの病魔による苦しみも神に与えられた試練であり、殉教の機会なのです、と言いたいがごとくである。いや、おそらくこの時代、聖職者たちは病人たちにそう説教したに違いないと想像する。
そういう生々しい人間劇の舞台装置として、この陰惨な磔刑図はうってつけだったと思われるが、これを描いたグリューネヴァルトその人は、あるいは敬虔なクリスチャンだったとしても、こんな絵を描いてしまう画家的本能は隠しようもないと思う。