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西洋美術雑感 18:レンブラント「水浴する女」
これまで北方ルネサンスの画家の描いた絵の底に隠れる奇妙な悪徳と、それゆえの幻想的な魅力について、だいぶ強調してしまった。そして、その独特の暗さは北欧の寒さゆえであろう、などと想像したわけだが、そのルネサンスの時代も過ぎると、北方のその暗さと重さは、幻想に向かう代わりに、静けさと自然さ、充足感のようなものへと向かって行ったように思える。
そんな次世代の北方の絵画の、その頂点に位置する画家が、オランダの画家、レンブラントであろう。
自分の感覚を言えば、レンブラントの絵画を見ていると、それが及ぼす、かのトランキライザー的な作用、平和で充足した平静な心、安心感と安定感、というもろもろのダウン・トゥ・アースな感じが、それがあまりに静的なものなせいで、かえって訝しく感じられるほどである。
ここに出したのは「水浴する女」という有名な作だが、これ以上は無理だろう思われる、素晴らしい描写の様子には、もうほとんど感想の入る余地がないほどである。ただただ、ほとんど奇跡に近い表現が目の前にある、としか反応できない。
面白いことに、この充足感をさらに発展させたのが、たとえば先にも取り上げたフェルメールなのだが、フェルメールまで行ってしまうと今度は鎮静感が行き過ぎてしまい、また別物になってしまうのである。レンブラントはそこまで行かず、なんというか、変な話だが、極めて人間的なところに留まっているように思える。
土台が、レンブラントの絵については語るより見ることなので、書き始めると評論家的になってしまい、イヤになる。
考えるのは止めて、この水浴の女の表面の筆触の荒さを見て欲しい。たとえばこの白い衣服、絵筆に白い絵の具をつけて、まるで水墨画のようにざざざっと塗りたくっただけではないか。それが一体なぜ、こんな完璧な視覚表現になり得るのか、どうにも、分からない。そして結局、やはりレンブラントについては多くを語ることはないことを思い知る。
こういうものを見ていると、もう、このまま死んでもいいという気になる。
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