鈴虫の鳴る世界
秋の風物詩で思い浮かぶのは中秋の名月だ。
あのマクドナルドが月見バーガーを出すのだから、多くの日本人もまた同じように月を思い浮かべるに違いない。
ぼくの通勤路は街灯の少ない、山道が続く。草もいっぱいで、山の斜面いっぱいにのびている。
この草たちを人の手で、どうにもできない。
家の庭という小さな場所での草むしりすら、どうにもできないんだ。1本の草と共に、ぼこりとえぐれた地面を放っておくと、次の日には群れを成した小さな草たちが現れる。
何の話だったか、そう、草いっぱいの山の斜面。
その道を抜けていくと、また山の斜面いっぱいに草が生えている。
この通勤路は20分くらいの道のりで、帰宅するときには街灯も少なく、車のライトだけが頼りなんだ。そこに、ずっと鈴虫の音が一定のリズムで聞こえ続けるの。
車で40〜50kmの速度で走っているというのに。
どこもかしこも、鈴虫たちは羽をすりあわせて、リズム良く奏でているのだろうか。
鈴虫への関心は、かの紫式部もあったらしく、与謝野晶子版・源氏物語38巻にも登場する。
作中で鈴虫の宴、鈴虫の歌が行われる。1000年を超えてなお、心を動かすものは変わらないのかもしれない。
心に耳を傾ける。自分の本質を、過去の力を借りて、事象として紡ぐ。その繰り返しの中に、現状を打破するものがあるのかもしれない。