競わない、という価値観。
家族写真について。
我が家は寝室に、娘が生まれたばかりの頃に三人で撮った写真を、大きめの額装に入れて飾ってます。実家には、居間にあるソファーの頭上に、小さい頃に七五三で姉と写真館で撮った写真が未だに飾ってあって。描写や時代的にもフィルム写真でしょう。家族写真は飾ってあるとつい見入ってしまって、写真はやっぱり飾るに限るなぁとしみじみ思います。いいですよねぇ。
時々に、家族写真の依頼をいただいているんですが、それはとてもとてもありがたいお話しで貴重な経験になっています。
公園で子供が遊ぶ姿を自然に撮って残したい。新しい新居での暮らしの記録を、初々しいランドセル姿を残したい。だったり。マタニティも家族写真の一つですね。ぼくはお受けした事はないですが、最近だとママの出産に密着したドキュメンタリー的な撮影もあるようです。すごい。
もしも、写真館で証明を当ててバシっと撮る写真が家族写真の原点だとすれば、「家族写真」って行為自体はとても多様になっているように感じます。 近年カメラマンが増えているから、撮り方や提案も様々溢れている。と言ってもいいかもしれません。
ぼくは依頼撮影時、大体150枚〜200枚ほどデータ納品する事がほとんどですが、これもフィルム写真しか無かった時代に比べれば凄いことですね。フィルムでその枚数をお渡しするとなるとコスト高で採算が合わなくなってしまいます。
デジタルカメラで量産できる今の時代だからこそ、昔に比べると格段に撮影量の割に価格が下がって、撮影自体のハードルも低くなっていることは、その時代をリアルに生きていないぼくでも実感ができてしまう。(今年32歳です) スマホで検索すればいくらでもカメラマンが見つかる時代なので。しかも低価格。法人化した出張サービスに登録している人も沢山います。そしてカメラの技術だって物凄いスピードで進化していますよね。(もはや全く追い付けていません…)
そうそう。
『カメラマン増加の理由=カメラの性能が上がったから』
と言う意見ってたくさん耳にするんですが、確かに納得もできれば、そうでもないのかなぁと感じる部分もあります。なぜなら「今のカメラは凄いぞ」って、きっと最低でもここ10年は言われ続けている事だと思うんですよね。
どんな機材でも、出た瞬間は最新モデルとして発表される訳なので。むしろ今は、ぼく世代の人が20年〜30年ほど前のフィルムカメラを手にしてる人が増えてます。なので、カメラ性能がどうのこうのっていうよりも、厳密には〝発信の方法〟が多種多様になって、人の目に付きやすくなった。発表の場やツールが増えたから。なんじゃないかと思う。(でもJPEG撮りでも素晴らく雰囲気がある今のカメラの性能は確かにそう感じさせる。色味だけでいえば…。)
SNSのダイレクトメッセージなんて本当に凄いし、誰とでも連絡のやりとりが安易になったことで、作品を観覧してから依頼するまでのアプローチがすごく短くて、その壁はとても低くなってる。ぼくもInstagramのDM使っていつか家族写真を依頼してみたいフォトグラファーいっぱいいます。
そんなこともあってか、〝家族写真〟という分野を軸に活動しようとなどは、今のところは考えにくくて、既にやっている人が多くてすぐ競争になってしまう事が明白。ウェディングフォトもそうですね。特に都市部だと競争は激化してます。
でも依頼があれば、それはもちろん撮りたい家族写真。好きなので。でも好きだからこそ、できれば同じ分野で競いたくないなぁと。
競争をしない。
自ら競争の多い場所に身を投じない。
できれば自分にしか生み出せないモノで人に喜んでもらいたい。そうじゃないモノは結局、選ばれるのは自分じゃなくてもいいし、誰かがやってそうな、もしくは皆んなが既にやっている物事って、いつかは価格競争に陥って、やがて滅びてしまいます。
仮に写真で何かを競うことになってしまった時には、ぼくは真っ先に靴下脱いで裸足で逃げるでしょう。(笑) 真っ先に敗北宣言。
その点は地方、田舎はやっぱりいいですよ。都市部に比べると同じ分野でやってる人の絶対数が圧倒的に少ないので、周りを気にすることなく、おのずと自分のペースが守れます。実際三重県で活動されてる作家さんだったりは、とてもマイペースな方が多いです。でも芯が太い。(そして全くガツガツしてないし、良い人ばかり…)
相場なんてあってないようなモノだと思ったりもします。価値観は、自分で新しく作ればいい。これって写真だけに限らないですよね。
誰とも競わず、マイペースにやりたいなぁって人は、とりあえず田舎に身を置いてみる。とてもアリだと思います。ぼくもそれで地方暮らしを選びました。
なんだか偉そうに語ってしまいましたが、田舎はいいよって話しです。
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