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ファンタの起源は第二次世界大戦!?コーラ不足で開発された飲料の歴史🌈

炭酸飲料として、不動の人気を誇る『ファンタ』。

フルーツフレーバーの爽快感や親しみやすさが、日本の消費者にも広く受け入れられています。

ファンタが日本で初めて販売されたのは、1958年。

当時、日本市場で売られていたフレーバーは、オレンジ・グレープ・クラブソーダの3種類。

戦争の影響で物流網が途絶え、多くの物資が不足していました。


ファンタが生まれたドイツでも、状況は同じ。

特に、贅沢品や嗜好品の入手は極めて困難な状況にあったと言われています。

そんな中、ドイツで販売数を伸ばしていたのが『コカ・コーラ』。

1929年にドイツ市場に進出した『コカ・コーラ社』は、コカ・コーラの販売数をどんどん伸ばしていき、当初5,840ケースだった販売数は、第二次世界大戦が始まる直前には450万ケースになっていました。

しかし、1939年に、第二次世界大戦が始まると、状況は一変。

アメリカとドイツの国際関係が悪化したため、ドイツ法人はアメリカからコカ・コーラの原液を輸入することができなくなってしまいます。

戦時中、この原材料の不足は深刻な問題でした。

これに対応するため、ドイツ法人の担当者は、これまでにはない原材料の組み合わせを研究し始めます。

まず、目をつけたのは『リンゴジャム』。

リンゴジャムの製造工程で残った果実の『残渣(不溶物)』に、チーズなどの乳製品の製造工程中で出る『乳清(ホエー)』を調合。

余り物で飲料を作ろうと考えたんです。

この物資不足の中で作られた飲料は、砂糖などの甘味料が不足していたこともあり、特に、飲食店で重宝されました。

同時に、ビタミンCやカフェインを含ませた粉末ジュースの製造も行われ、戦地下のドイツ軍に送られていたそうです。

この飲料は、のちに、ドイツ語で「想像力」を意味する『Fantasie』から着想を得て、『ファンタ』と名付けられました。

『ファンタ』という名前には、厳しい状況下で何かを生み出そうとする『想像力』や『創意工夫』の意味合いが込められていたんです。


コカ・コーラの代用品として作られたファンタは、結果的に世界的なブランドへと成長を遂げます。

「困難な状況下で生まれた創造物が、人々にどのような恩恵をもたらすかを示す良い例」

ファンタは、若い世代をターゲットにした炭酸飲料ではありますが、老若男女問わず、今でも幅広い世代に愛され続けています😌

最後まで読んでいただきありがとうございました🌈
 

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早坂 渚
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