天満月オークション-女神の追憶-|第18話|氷面
人類の火星移住計画。
火星は、地球に最も近い環境が作れると期待されていた惑星。
そのため、世界中で研究が行われていた。
しかし、火星まで行くことができる宇宙船やエネルギー開発がうまく進められず、計画は難航。
その計画を、ナグサが、人と月のエネルギーを使うことで実現させたのだ。
ある一人の女性を犠牲にして。
ナグサは、フランスにいた宇宙研究者で植物研究者のピエールを呼んだ。
彼は、すぐ家族を連れて日本へ移住した。
二人は、知識を共有し、地球と月、それぞれの拠点に分かれた。
月で植物を育てることができれば、人類は生きていくことができる。しかし、現実は、甘くなかった。
幾度と場所を変え、栽培を試みるが、一向に育たない。
人類が住むために必要な苗どころか、生命力の強い雑草さえ、月では一本も育たなかった。
「地球から300種類ぐらい苗を持ってきましたが、全て失敗です。どれも、月では育ちません。このままだと計画に間に合わないかもしれません」
「そうですか。太陽光が強く当たるその辺りなら育つと思っていたのですが、残念ですね。何か別の場所をあたりましょう。一度、月の裏側に移動してもらってもよろしいでしょうか?」
「裏側ですか?」
「そうです。裏側は未知の領域。何があるか分かりません。気を付けて移動してください」
「ナグサさん、それは、ちょっと厳しいかもしれません。ここから北西へ向かえば、光の届かない領域になり、衛生写真ですら平面の凹凸が見ることができない危険な場所です。しかも、裏側にはクレーターが集まっています。着陸できる場所があるかどうか……」
「そのクレーターに天然の氷があるはずなんです。そこには、水だけでなく、湖が存在すると言われています。その湖こそが、月で生まれた天然の資源。地球から持ってきた水ではなく、その月の氷を溶かして水をあげれば、植物が育つかもしれません。我々が月の環境に合わせることで、人類は存続できる可能性はまだあるのです」
「月の水ですね。了解しました。ここから40,000フィート北西へ移動します。ナグサさん、もう一度伺いますが、あなたは本当に見たのですか? 地球の本当の未来を」
「はい。この目で見ました。地球は、全て黒く染まり、大陸は一つになります。その影響で、人々は一斉に宇宙船が飛び立つ準備に入ります。しかし、空がガスに覆われ、誰一人地球から出られなくなるのです」
「その話を聞いた時、私は胸が張り裂けそうになりました。ただの予知とは思えなかったのです」
「我々には使命があります。人類を宇宙船に乗せ、宇宙へ避難させる使命が。月と植物の研究を進めてきた、あなたでなければ、月を甦らせることはできません。これがあなたの使命です。私はもう、あなたを信じるしかありません」
ピエールは、太陽光の当たらない、月のクレーターを目指した。
40,000フィート北西にあるその場所。
すると、ピエールから一枚の写真が送られてきた。
「ナグサさん、これを見てください」
ピエールから送られてきたのは、一面氷が張った湖が写った写真だった。
ナグサの予想通り、クレーターに湖は存在した。しかも、数万キロにも及ぶ円形状のクレーターがいくつも続いている。
「本当に月に湖が存在するとは……。出来れば、その付近に着陸していただけますか?」
「やってみます」
ピエールは着陸を試みた。
上から見る状態より起伏が激しい裏側の月面。
一つ一つのクレーターの大きさが、2000メートル級の山や崖のように続いており、着陸できる平坦な場所が見当たらない。
ただ、氷の張った湖だけは、多少の湾曲はあるものの、ほぼ平坦だった。
着陸できる場所は、ここしかない。
ピエールは、湖の真ん中に機体を近づけた。
機体が近づくたびに氷面が削られる。銀色の風がキラキラと舞い、宇宙船の周りに氷の波紋が広がった。
ピエールは、何とか機体を着陸させ、氷の世界に足を踏み入れた。
宇宙船に積んでおいたピッケルで氷面を掘り、持っていたライターで炙ると、水に変化した。
調べると、細菌すらない、極めて純度の高い水だった。
そのきめ細かさは、素手で触れるのが勿体ないほど。
ピエールは、水を氷面に落とすと、水が氷面で美しく散る様子を目の当たりにした。
「ナグサさん、これは偉大な発見かもしれません。地球から持ってきた水は、不純物が多すぎました。この月の氷を溶かし、地球と月のちょうど間ぐらいの不純物を混ぜ合わせて改良を加えれば、植物を育てることはできるかもしれません」
「なるほど。よく発見してくれました。ただ、そこは光の問題があります。その氷を積んで、太陽光が当たる場所まで移動してください。あと少しです、頑張ってください」
「了解しまし……待ってください。何か音が聞こえます。……子どもです。子どもの泣き声が聞こえます」
「ピエールさん、落ち着いてください。そこは月面です。そんなはずはありません」
「ナグサさん、本当なんです。遠くで赤ちゃんの泣き声が響いています」
ピエールは、その声を辿らずにはいられなかった。
霧が立ち込める、氷の世界。
霧の中へ入っていくと、赤ちゃんの泣き声がどんどん大きくなっていく。
そこで、ピエールは不思議なものを見た。
「ナグサさん、大変です。私たちは、勘違いをしていたのかもしれません。植物を育てることに必死になりすぎて、現実が見れていませんでした」
ピエールの視線の先にあるのは、ごく僅かな竹藪。
氷が張った湖の中に、1箇所だけ竹藪が存在したのだ。
その竹藪の中に1本、光り輝いている竹がある。
そこから聞こえてくる、赤ちゃんの泣き声。
日本昔話を彷彿とさせる状況だ。
「ナグサさん、日本の神話に書かれている内容は本当です。月には竹藪が存在します。しかも、その竹の中に子どもがいるのです」
竹から溢れ出る光に目を奪われながら、ピエールは、なぜか遥か彼方にある地球を見た。
竹と共に光り続ける日本列島。
まるで月に向かって光を送っているようだった。
「遺跡です……。地球の遺跡とここが繋がっています。水・植物・子ども、この三つは全て月と関係していたのです」
簡単に信じられる内容ではなかった。
ピエールは、頭で考える前に、感覚で捉え、言葉にしていた。
そこに理由など存在しない。
研究者として、科学的根拠を追求してきた、ナグサとピエール。
阿吽の呼吸で通信してきた二人。この後、ナグサが言う台詞は、ピエールも予想できていた。
「それが、月の女神です」
ナグサが放った台詞は、ピエールが思っていたものとは違った。
ナグサは、この光景を見ていない。
まだ、写真すら送っていない。
なのに、ナグサは、この光景をまるで見ているかのように答えた。
これが、日本人が持つ能力なのか。
首にぶら下げていたカメラを手に取るピエール。目の前で光る竹藪を撮ろうとカメラを構えた、その時だった。
ピエールは、とんでもない光景を目の当たりにした。
「ナグサさん、何が起きているんですか? 説明してください!」
それは、日本列島から、一斉に宇宙船が飛び立つ光景だった。
「日本列島から大量の宇宙船が飛び立っています! ……ナグサさん、聞こえますか? 応答してください! ナグサさん!!」
ピエールの訴えに対し、ナグサが返事をすることはなかった。